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ゴッホが最後に暮らした街、オーヴェルシュルオワーズ訪問記

先日、ゴッホが最後の2か月間を過ごしたオーヴェル=シュル=オワーズを訪れた。


『たゆたえども沈まず』

パリに来る飛行機の中、1冊だけ機内まで持っていた本がある。
原田マハさんの『たゆたえども、沈まず』
ゴッホをモチーフに書いたフィクション作品だが、美術キュレーターの原田さんの深い考察によって、ゴッホや彼の人生を生き生きと感じられる。
「もしかしたら本当にゴッホはこう思っていたのかも。。。」もう会えるはずのないゴッホをとても近くに感じる作品だ。

パリに来る前に日本の本屋さんでなんとなく手に取った本であったが、読み始めるとそのまま数時間で読み終えてしまった。ここまで小説にのめりこんで一気読みしたのは初めてかもしれない。

そして本のタイトルでもある『たゆたえども沈まず』はラテン語で「Fluctuat nec mergitur」といい、「どんなに強い風が吹いても、揺れるだけで沈みはしない」という意味でパリ市の標語にもなっている。

「フランス・パリという異国の地で暮らしていくのはきっと大変なことも沢山あるだろうけれど、めげずに生きていこう!」と自分自身との約束のような、私にとってお守りのような言葉となった。

そんな物語のキーパーソン。フィンセント・ファン・ゴッホ。彼が最後に暮らした町が今回の旅先オーヴェル=シュル=オワーズである。

オーヴェル=シュル=オワーズ展

今年の始め、ゴッホがオーヴェル=シュル=オワーズで描いた作品にスポットをあてた展覧会がオルセー美術館で開催されていた。

ゴッホは1890年5月にオーヴェルに到着し、およそ70日間滞在した。その期間でなんと絵画やデッサンなどを含めると合計約100作品も制作した。1日で1、2作品という驚異のペースで精力的に創作活動に励んでいたゴッホ。

これまで見たことのない絵も沢山あり、特に展覧会のポスターにも使われていた横長の絵がとても美しかった(本記事の見出し画像)。
この珍しい横長の絵をゴッホは13作品描いたといい、そのうちの12作品を今回の展示会で見ることができた。
どの絵も明るさの中に優しさを感じられる絵で、きっと白っぽい色を混ぜて描いているように思った。アルルやサンレミといった南仏で描いているようなパキッとした鮮やかな明るさではなく、少しヴェールがかかったような優しい色合いが特徴的だった。

オーヴェル=シュル=オワーズで描いた作品は本当にどれも美しい。
ゴッホ自身、この町に到着してすぐに送った弟のテオ宛の手紙の中で「オーヴェルはとても美しい」と書いていたらしい。

そんなゴッホが最後を過ごした町に訪れたいと強く思った。出来れば彼が過ごした時と同じ季節に。

そして念願だったオーヴェル=シュル=オワーズへ先日8月中旬に訪れた。

ゴッホの「最後の2か月」を辿る旅

オーヴェル=シュル=オワーズはパリから電車で約1時間半のパリ近郊の町。サンラザール駅からSNCFのJ線に乗って、ポントワーズという駅でH線に乗り換える。

電車の中で『たゆたえども沈まず』の後半を再読した。ゴッホは当時どういう気持ちでオーヴェルに向かったのか、弟のテオは兄の危篤の知らせを聞きどんな気持ちで電車に乗っていただろうか、とかそういうことを考えているうちにあっという間に到着した。

オーヴェル=シュル=オワーズは全てが徒歩圏内にあるような小さな町だ。町中に、ゴッホが描いた絵のパネルが各ゆかりのある場所に置いてある。そのスポットを巡り、ゴッホの足跡を辿った。

観光案内所の目の前にあるゴッホ像。顔はあんまり似ていない..?
ゴッホにゆかりのある場所が分かる地図をもらった
ゴッホが描いたオーヴェルの教会。絵の中からそのまま飛び出してきたよう。
麦畑を描いた場所。今は麦はなかったが当時の様子に思いを馳せる
麦畑のすぐ隣にあるお墓。ゴッホ(フィンセント)と弟のテオが隣同士で眠っている。蔦でいっぱいになったお墓の上にひまわりの花も置いてあった。
ガシェ医師の庭。このテーブルでゴッホはガシェの肖像画を描いたと言われている。
ゴッホが最後に描いたとされる『樹の幹』
ゴッホはラヴー邸というレストランの屋根裏部屋に住んでいた。
レストランの料理がとても美味しかった!『本日のプレート』で頂いたガスパチョ。
ゴッホの部屋はガイド付きの見学が可能だが、中は撮影NG

ゴッホの部屋は階段を上ってすぐのところにある。4畳ほどしかない本当に狭い部屋だった。小さな窓からは外の光がわずかに差し込んでいて、もし私がこの部屋で生活するとしたら息苦しくなりそうだと感じた。
小さな部屋の中には現在はベッドは無く、小さな椅子と当時使っていたという額縁がいくつか置いてあった。
絵が完成するたびに額縁に入れ壁にかけて鑑賞していたというゴッホ。壁には飾るときに開けた穴の跡が残っていた。

部屋を案内してくれたガイドさんによると、ゴッホは最後まで精力的に絵を描いていたということが分かった。
ゴッホは毎日日中は外に出て絵を描いていたのだそう。オフィス勤めの会社員のようにほぼ時間帯も決まっており、朝になったらキャンバスを持って出かけ、夕方になると帰ってきたという。

オルセー美術館で見たゴッホの絵を思い出しながら町中を歩いた。あの美しい絵たちを思い出せば思い出すほど、なぜ彼は自ら命を絶つことを選んだのかという疑問が浮かんでくる。(今でも死因については諸説あるが)

ゴッホが亡くなったのは1890年7月29日。自殺を図ったとされる日から2日後、弟のテオに看取られながら。100年以上たった今でも町の至るところにゴッホが生きていた"証"があった。色々な形で自分の絵や人生が、伝えられ、残っていることをゴッホは喜ぶだろうか?

パネルを1つ1つ巡りながら、彼がいた場所を歩き、息を引き取った部屋に立ち「確かにゴッホはここにいたんだ。ここで絵を描いていたんだ」ということを強く感じることができた。
小説の中で出会えたゴッホに、再会できたような気がした。

#私のこだわり旅


▼オルセーのゴッホ展に行った際のVlogです(5:24~あたりから)

▼オーヴェル訪問vlog



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