じぶんでじぶんを満たすということ
noteは、わたしにとって、書きたいし、表現したいけれど、思うように、書きたいように書けないもどかしさがあった。
ひとりで書いているノートにはなんでも書ける。
そしてそういうときのほうが、じぶんが書きたいことを素直にまっすぐに書けている。
だから、いいっか、べつに。と思っていた。
だれかに読んでもらっているわけでもないし、と。
すねるみたいに。
わたしが書きたいのは、"いいもの"でもなんでもない、ただのわたしが純粋に思ったこと、感じたことそのままなんだ。
だから、狙って書かなくてもいい。
毎日つづかなくても、読んでくれるひとがいなくても、思ったように書けなくても、形が整わなくても、いいことを書けなくても、まるで水のように、サラサラと流れるように、だれと比べることもなく、じぶんにダメ出しすることもなく、日々書きたいことをそのまま書いていこうと思った。
𓂃 𓈒𓏸◌
"お金のありがたみ"とは
先月あたりから、"お金を使わずにじぶんを満たせるようになりたい"となんとなく思っていた。
お金は、いざというときにはほんとうにじぶんにとって救いとなる力をもっていると思う。
言い切れないのは、まだお金がそういう力を発揮する場面に出会ったことがないから。
わたしがお金を使うのは、じぶんを満たし、幸せにするため。
聞こえはいいけれど、裏を返せば、お金を使わなければじぶんを満たしたり癒したり、幸せにしたりしてあげられないと思っていた。
だから、あればあるだけ使ってしまった。
でも、このあり方は、見方を少し変えれば、180度変わりうると思っている。
ふだん、なるべくお金を使わないようにする
そう聞いて、あなたはどう感じるだろうか?
わたしは、窮屈、自由をとりあげられたように感じた。
でも、実はそれは、新しいものに手を伸ばすのではなく、今あるもの、もっているものに目を向けて、それを使っていくというあり方だということに気づいた。
たとえば、おやすみの日に、どこかに出かける代わりに、家事をしてじぶんの暮らしを整えることだったり、ただのんびりしてなにもしないことだったりする。
または、足りない食材を買い足すのではなく、冷蔵庫にあるものを使っておいしく食べるということでもある。
そうして"おうち時間"を過ごしているうちに、じぶんのなかから湧いてくるものを自然と歌や絵や言葉にして表現することも起きてくる。
そうやって手を動かすことは、じぶんを満たしていく。
お金を使わないというのは、
今あるものを活かすことであり、
足るを知ることであり、
お金では買えないこころのゆとりという、ほんとうの豊かさを手に入れるということなんだと思う。
"わたしを幸せにするため・満たすため"にお金を使うということは、知らないうちにじぶんに"わたしは足りていない"という意識を植えつけ、ストレスをかけていた。
今、わたしがほんとうにほしいもの
それは、わからない。
だからこそ、じぶんの人生を充実させるため、欠けているじぶんを満たすためにお金を使うのはもうやめよう。
もっと、キラキラしたこと(それは、見た感じのワクワクするようなことばかりではなく、だれかがほんとうに辛いときに助けてあげられるというようなもっと地に足ついた、土くさいことかもしれない)に一歩をふみだすための後押しとなってくれるような使い方をしたい。
いつかきっと、このためにこのお金はわたしのもとに来てくれたんだ、それがわかる瞬間がやってくるから、そのときまでわたしは、わたしに与えられたあるがままのわたしで、わたしを満たしていたいと思う。