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ばくてりやがおよいでゐる。

ばくてりやの世界


ばくてりやの足、

ばくてりやの口、

ばくてりやの耳、

ばくてりやの鼻、

ばくてりやがおよいでゐる。

あるものは人物の胎内に、 

あるものは貝るゐの内臓に、 

あるものは玉葱の球心に、

あるものは風景の中心に。

ばくてりやがおよいでゐる。

ばくてりやの手は左右十文字に生え、 

手のつまさきが根のやうにわかれ、

そこからするどい爪が生え

毛細血管の類はべたいちめんにひろがつてゐる。

ばくてりやがおよいでゐる。

ばくてりやが生活するところには、

病人の皮膚をすかすやうに、

べにいろの光線がうすくさしこんで、

その部分だけほんのりとしてみえ、

じつに、じつに、かなしみたへがたく見える。

ばくてりやがおよいでゐる。

萩原朔太郎『月に吠える』より


「ばくてりやがおよいでゐる。」

萩原朔太郎の『月に吠える』を読んでいたらこの言葉が出てきた。
めちゃくちゃ使いたい。自分でも理由は全くわからないが、とにかくこの言葉が使いたい。普段の自然な会話の中で一度でいいから「ばくてりやがおよいでゐる。」と言いたい

ばくてりやの研究をしている人は「ばくてりやがおよいでゐる。」と言っているのだろうか。私と同じように「ばくてりやがおよいでゐる。」と言いたい人は何人いるのだろうか。

とにかく「ばくてりやがおよいでゐる。」と言いたい。


おはようございます。

自分の書いていることが理解できません。助けてください。


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