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スーパーバッドなエマ・ストーン あるいは (哀れなるものたちのお気に入り)①白黒編

女優/俳優とその年のベストというトピックで言うと、以前にキャリー・マリガンと『プロミシング・ヤング・ウーマン』について書いた記事もあるので、もしよければこちらも合わせてご笑覧いただければ幸いです。

だがこの充実体は、充実を喪失する危険に犯されており、それを喪失することを恐れながら同時に望んでもいる。あたかも充実の意識が、不確定な宙吊り状態を求めるかのように。

ジョルジュ・バタイユ『エロティシズムの歴史:呪われた部分ー普遍経済論の試み 第二巻』、
湯浅博雄/中地義和訳、139-40頁。強調筆者。

今年ベストの映画だ!と言いたいところだが。。。

ここまで劇場で公開された新作を21本鑑賞してきた(うん、もう少しペースを上げて今年は年の目標である80本は行きたい。)が、今日時点での今年のベスト映画はヨルゴス・ランティモスが監督、エマ・ストーンが主演とプロデューサーを務めた『哀れなるものたち』だとここで断言する。つまりは、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『デューン 砂の惑星 PART2』よりも濱口竜介監督の『悪は存在しない』よりもアレックス・ガーランド監督の『シビル・ウォー』よりもアンドリュー・ヘイ監督の『異人たち』よりも好きな映画であるということになる、というかそうなってしまう。ちなみにイギリスでは新作映画を映画館で観るとなると、安くても2,900円ほど高いと4,300円(IMAX+疲れない椅子)ほどしてしまうため、年間パス(約30,000円)を購入することで余計な出費を防いでいる。観れば観るだけお得な、完全にスター状態である。(目標の80本を達成できれば1本あたり400円を切る!)
ではなぜ今日時点なのか。以前『プロミシング・ヤング・ウーマン』について書いたときには、まだその2021年が終わるまでに8ヶ月あるにも関わらずベスト1位と断言したし、そしてその先の8ヶ月の間にその映画を超えてくる映画に出会えなかったのも事実である。ちなみに、2021年のベスト6(コロナ禍もあり26本中)は

エンタメ性:フリー・ガイ、マトリックス レザレクションズ、ソウルフル・ワールド
社会批評性:ミナリ、スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム
その年らしさ:プロミシング・ヤング・ウーマン
次点:シャン・チー/テン・リングスの伝説

であった。ではどうして『哀れなるものたち』についてはしっかり保険をかけているかというと、来週おそらくそれを超えるであろう映画に出会ってしまうと確信しているからである。もちろん、『マッドマックス:フュリオサ』である。だからこそ、今こそエマ・ストーンと『哀れなるものたち』について書く意味がある、あの感動を、そして来週にはかき消されているであろうあの感動を、ここに刻んでおこう。

エマ・ストーンへの狂おしいほど愚かな愛

どんなルートで『スーパーバッド 童貞ウォーズ』にたどり着いたのかはあんまりよく覚えていない。もしかしたらペッグ&フロストコンビの『宇宙人ポール』から直接グレッグ・モットーラ監督作品ということで見つけたかもしれないし、ジャド・アパトーやセス・ローゲン(とエヴァン・ゴールドバーグ)周りの作品を片っ端から見ていたら出会った可能性もあるし、『JUNO/ジュノ』や『スコット・ピルグリム VS. 邪悪な元カレ軍団』からマイケル・セラ出演映画を漁っていたのかもしれない。いずれにせよ、『スーパーバッド』が私にとって初めてエマ・ストーンを見た映画であることには間違いない。その映画の彼女は文字通りスーパーバッド(最高にイカしてた)だった。
『スーパーバッド』でエマ・ストーンは誰にでも優しく、ピュアで真面目、それでいてクールな「高嶺の花」系女子高生という複雑なジュールズ役を見事に演じ切っている。両親が旅行中なのをいいことに自宅でホームパーティーを主催するイケてる女子でありながら、映画史に残るであろう伝説的な"WHAT THE F**K"というセリフをいとも簡単に吐く。右目の周りに青あざができてもその説得力を失わない見栄えと表情。ここでの名演は後の初主演作品の『小悪魔はなぜモテる?!』でのオリーヴ役にまで繋がっており、そこでは地味で目立たない女子高生があざとい系ヤリマン女子へと転身するという全く正反対な役柄を演じているのだが、観ていて全く違和感を覚えない。(ちなみに原題"Easy A"とは「楽単(楽に単位を取れる授業)」と「姦通=AdulteryのA」がかかっており、「簡単にさせてくれる子」や「簡単に貼られるアバズレのレッテル」みたいな意味が込められている。)
3人組の童貞高校生が卒業パーティーで童貞卒業を狙い悪戦苦闘するという『スーパーバッド』のプロットはそのままセス・ローゲンとエヴァン・ゴールドバーグが製作を務める『グッド・ボーイズ』に引き継がれており、そこでは3人組の小学6年生が初キスを目指して奮闘することで少年たちの成長を描いている。また、ジョナ・ヒルの妹であるビーニー・フェルドスタインが主演を務めた『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』は幼馴染のガリ勉女子高生2人が卒業パーティーで最後の高校生活をハメを外してエンジョイしようとするストーリーであることからもわかるように、こちらもこの『スーパーバッド』的な文脈で観なくてはならない映画である。そして何より、Netflixオリジナルドラマ『マニアック』でのジョナ・ヒルとエマ・ストーンの約10年ぶり再共演も、この『スーパーバッド』に負っているところが多い。特に、『マニアック』のラストシーン、エマ・ストーン演じるアニーがジョナ・ヒル演じるオーウェンを精神病棟から救い出し、一緒に車でソルトレイクに向けて逃亡するシーンは、映画『卒業』の有名なバスシーンでもあり、『スーパーバッド』のモールのエスカレーターシーンを想起させる。あたかも充実の意識がその充実の喪失を恐れつつも同時にそれを望んでいるという宙吊り状態であるかのように。

夢と現実を軽々と横断するペテン師

そして、エマ・ストーンは次々と話題作に出演し、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でアカデミー賞助演女優賞にノミネートされ、『ラ・ラ・ランド』では見事主演女優賞を受賞する。それにしても、エマ・ストーンが出演する映画のラストシーンはどれをとっても秀逸だ。
『ラブ・アゲイン』のすべての伏線が回収されるドタバタコメディータッチのラスト(いや、それ以上に好きなシーンは、『ダーティ・ダンシング』のように空中に高くリフトする有名なシーンを再現するところで、ライアン・ゴズリングのシックスパックを見て、「F**K! マジかよ、それもうフォトショップじゃん!」っていう場面である。Fワードを発するハリウッド女優の中でエマ・ストーンのそれは突出している。)は元気が出ない時に観るようにしているし、『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』での主人公リーガンの薬物依存症の娘役もラストの意味深な笑顔も(オープニングが『気狂いピエロ』オマージュだったので、そこですでに主人公リーガンが自殺するというのは予言されているわけだが、娘のサムはラリってるにせよ本当に空を飛んだ父親を見たのだと思う。それにしてもオープニングで一瞬カットが挟まる、あの海岸に打ち上げられたクラゲと隕石は何を象徴していたのか。)も『アメイジング・スパイダーマン2』での原作を読んでいても衝撃を受ける時計塔から落下シーン(だからこそ、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』でゼンデイヤ演じるMJをその落下からトム・ホランド演じるピーター・パーカーが救い損ねるが、アンドリュー・ガーフィールド演じるピーター3が助けた上で救えなかったグウェン思い出して悲しむというシーンは、その映画に出演していないエマ・ストーンへの弔いでもあったのだ!)もどれをとっても圧巻である。
そして、なんといっても私が2010年代のベスト10にも入れている、L.A.(ラ)ことロサンゼルスの地で現実から離れて女優になるという夢を追う女優志望のミア役をエマ・ストーンが演じる最高傑作『ラ・ラ・ランド』のラストシーンはエミネムにとっての『スーパーバッド』よろしく200回近く観ている、それぐらい好きな作品である。内容的には、一度生活のための労働という選択肢を選んだものの、再度自分の夢を追いかけるという『花束みたいな恋をした』のハッピーエンド版みたいな映画だといっても過言でもない(そうか、ミアの一人芝居公演は『バードマン』のリーガンのそれとダブるところがある)が、特に私のお気に入りは次のシーンである。これぞエマ・ストーン、これが私たちの大好きなエマ・ストーンというシーンだ。

このエマ・ストーン感をどうにか伝えたかったのだが、どうしても言葉が見つからなかったところ、それを簡潔・完璧に表している表現をTwitterで見つけたので、ここで共有しておく。そうこの「黙っていたら美人なのにすぐふざけて面白いことをしちゃう親戚のお姉さん」感、それがエマ・ストーンなのである。

白黒からカラーの世界に飛び込む準備

『ラ・ラ・ランド』以降も『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』やヨルゴス・ランティモスとの初タッグ『女王陛下のお気に入り』や『クルエラ』とヒット作に出演し、そして6年ぶり2度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞することになる『哀れなるものたち』が2023年12月に公開された。そこには、すべてのエマ・ストーンが詰め込まれていた。本作は主人公ベラが自由意志を獲得する前の白黒の世界と自由意志を獲得した後のカラーの世界を分けて表現している。私たちはここまででエマ・ストーンの出演作品をざっとおさらいすることで、エマ・ストーン感の把握に努めてきた。そして『哀れなるものたち』を自由に語ることのできる意志の獲得ができ、カラーの世界に飛び込む準備が完了したと言えよう。今、まさに、エマ・ストーンという女優の世界の輪郭がはっきり見えてきた。ここがロドス/薔薇だ、ここで跳べ/踊れ!!!

続きである②カラー編はこちらです。


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ペテンの配達人
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