何も望まないことを望む
私の人生は章立てになっている。
幼少期から中学生までが第1章。まだ何もわかっていなくて幸せでもあった頃。
高校生から20歳までが第2章。本当に暗黒期でどうやって死ぬかを毎日考えていたし、20歳の夏までは10代の頃に受けた傷がトラウマになって、度々フラッシュバックした。
この時、出会ったのが、森博嗣氏のスカイクロラシリーズだった。この本を読んで私は本当に救われた。すべて忘れてもいいのだと知るとができた。
そして私は過去のすべてを忘れることにしたのだ。この時はそうすることでしか生きられなかったと思う。忘れると決めた時からフラッシュバックはなくなり、アルバイトを始めたり、副専攻で外国語を学んだりと意欲的になることができた。
20歳の夏から30歳までが第3章。この頃はいろいろあった。初めてちゃんとした彼氏。大学生活。バイト。フランスでのホームステイ。死にかけた就活。ヨーロッパ旅行。瀕死だった新卒1年目。いろいろな人と出会い、付き合いもした。
31歳で転職と引越し、体調不良で働けなくなり、休職ののちに退職。実家に戻った。
再び過去の親との嫌な記憶が蘇り、今まで親にいただいていた愛情や感謝がすべてそう思い込もうとしていただけと気づいた。ずっと抑圧され、支配され、親の価値観に沿って生かされてきただけだと。
本当であれば10代の時に経験するようなことなのかもしれない。でも10代の時の私は自分が悪いのだと、自分が消えれば問題ないのだと信じてやまなかった。本当はそう思うように育てられてきたのだ。親たちもその親たちの被害者なのだろうけど。
今の私は仕事も失い、体調も万全ではなく、貯金もなく、恋人もいない実家暮らしの31歳だ。もうすぐ32歳になる。
これからの人生をどう生きるのか、どう生きたいのか考える気力がまだない。
でもここからが本当のはじまりのような気がしている。
ようやく私は親に呪縛をかけられていたことに気づき、
自分の人生を歩むことができる。
それがどんなものになったとしても私の人生であり、
私自身が責任を負うものだ。
幸せだとか不幸だとか、そんなものはどうでもいいような気がしている。
大切なのは私が自分の人生を「選ぶ」ということ。
それができるなら私にとってそれ以上のことはないのだろう。
ずっと他の人と同じではない自分がどこか苦しかった。
他の人が当たり前にできることを私は当たり前にできない。
「普通」ではない自分をどこか恥じていたのだ。
でも私は私しかいない。
世界でたった一人の私が、
私自身の人生を、私自身の価値観で「選ぶ」ことから人生の第4章をはじめようと思う。