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人の評価に出会わない機会をつくろう

ずっと楽しみにしていた映画なのに、観に行くのをやめたことが何度もある。
「あー、やっぱりやめておこうかな」と若干の後ろ髪を引かれながら決める瞬間にいつも、楽しみにその日を待っていた純粋な自分の気持ちを思って少しだけ悲しくなる。
「楽しみ」ってもっとも活力をくれる気持ちだと思うから。叶えてあげられなくてごめんね。

そうなるのは、映画が公開されるとすぐにレビューが大量にあふれたり、みんなの感想が広まるからだ。それは悪いことじゃないけれど、最近よく、人の評価に出会わない機会を意図的に作りたい、と思う。
意思が弱いので、誰かの「まあ観ても観なくてもって感じだよ」みたいな言葉に負けて、「じゃあ……DVDでいいか」と思ってしまうから。

昔は、本屋さんに並んでいる本も、図書館の本棚に並べられた背表紙も、すべてがきらきらと輝いていて、こっちを見ているような気がしたのに、最近は「あっ」と気になった本も、即座にAmazonを開いてレビューを見てしまう。

それで星が少なければ「うーん」と悩み、星が多くてもコメント次第では「信者かな」なんて思ってしまい、レビューがなくても「売れてないのかな」なんて思ってしまう。
そんな自分がたまに、心底つまらなく思える。

誰かにとってのつまらない本が自分にとってもつまらないとは限らないし、
自分が信者になるかもしれないし(そしてそれは悪いことではないかもしれない)、
売れていないことが読まない理由にならないことなんて、ちゃんと知っているはずなのに。

無差別に、語りかけてきたタイトル、カバー、帯、あらすじを頼りに、自分で読むものを掴み取っていたころ。出会った本の何割かは宝物になった。その経験があってもなお、今のわたしは、「で、それって本当に面白いの?」って確認しようとしてしまう。それが、無性に、かなしい。
特に図書館なんて無料なのに、時間すら惜しんでいるみたいだ。わたしはまた夢中になりたいだけなのに、それを止めているのも自分なのだった。

そんなわたしにも、ひとつだけ、人の評価に出会わない世界がある。演劇だ。

演劇は、公演期間が短い(2週間くらい)ものも多くて、かつ、始まる前に大抵のチケットが売り切れる。先に買っておくしかない。映画の1,800円が高いのに、10,000円の舞台に賭けてしまう。どういう精神状態かわからないけれど、演劇はわたしの中でまだ、「人の評価を聞かずとも見に行くもの」として保存できていて、そっちのほうが効率的なのだ。

もちろん、見た演劇は、大好きで忘れられないものもあれば、途中で退出しようか迷うものもある。でも、後者ですらちゃんと、なんで自分がつまらないと思ったのかを考えながら見る。好きだったところはどこかも探す。そしてまたそれが経験になって、自分の好きな作品を探し当てる嗅覚になる

出会った当たりもハズレも、あぁ自由に選んだんだ、という、大きな深呼吸になる。
演劇が好きだ。当たりじゃなくてもいい、それでもチケットを握りしめて見に行きたい、と思う。

今またひそかに心待ちにしている映画があって、自分の楽しみな気持ちを死なせてしまいたくないから、公開したらなるべくすぐに行きたい。
……そう毎回思っていても、急に仕事が忙しくなったりして逃してしまって、なかなか難しいことも多いけど、なるべくそのために予定をあけておきたいと思う。

一方でもちろん、人の評価は大切な出会いにもなりうる。評判がいいことを聞いて見たり読んだりした作品も数え切れないほどある。今話題の「カメラを止めるな!」だって、あのポスターだけではわたしの守備範囲には入らなかった。
でもそれは、結局、あとからカバーできるのだ。プラスの情報はいつ摂取してもいい。売り切れていた舞台のチケットだって、評判がよければ譲ってくれる人を探すこともたくさんある。

自分の嗅覚を生かして出会って、それに追加していく。なるべく肌感覚と生の気持ちを殺さないように、出会いは本当に一期一会だと知っているからこそ、工夫していきたい。

読んでくださってありがとうございます!あまくておいしいものか、すてきな本を探しにゆきます。