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前回『田舎編』に続いて、今回は盛岡編をお届けする。 とはいえ、僕が盛岡にいたのは結構前のことなので、最新の情報ではないことはご容赦いただきたい。 僕の盛岡さんぽは、それなりの目的をもって始まる。 具体的に言うと「気分を入れ替えたい」という目標だ。要はただのリフレッシュだ。気分転換だ。気まぐれ(以下略) アパートを出て、盛岡駅方面に向かう。 当時暮らしていた場所からだと、それなりの距離になる。そして、ルートが複数ある。そこはその日の気分で決まる。 駅に用事があるわけでもない
「あなたが好きですあなたが好きですあなたが好きですあなたが好きですあなたが好きです……」 A4の紙いっぱいにこの文言が書かれた(正確には書かれているわけではなく、印刷されていた)ものを貰ったことがある。3枚。無記名であった。 小3か小4の頃。下駄箱に入っていた。当時の僕はビビりにビビって、すぐさま職員室に駆け込んだ。今考えると、ナチュラルにホラーだった。誰からのものだったのか、未だに知らないし、知りたくもない。 僕は幽霊を直接見たことはないのだが、ホラーな経験は意外と多い。
最初に、本編とは少し違う話をする。 長期間続いている大雨で、僕が何度もエッセイの題材にさせてもらっている盛岡市をはじめ、多くの地域で被害が出ている。どうか、これ以上の被害が出ないことを祈る。このエッセイ本編にも盛岡が出てくるため、急遽この文章を追加した。お見苦しいかもしれないが、ご容赦いただきたい。 盛岡の皆様、必ず力になります。また何度でも行きます。 皆様どうか、ご無事で。 それでは、以下エッセイ本編である。 僕の住む町は、いわゆる山村である。 人口が毎年のように急激な
先日久しぶりに盛岡に行った。 とは言っても観光ではない。単に2ヶ月に一度の通院である。色気も何もあったもんじゃない。「デートだ」と言ってみたいものだが、その相手がいるのなら、これまでのような変態的文章は書いていない。変態だから相手がいないのでは?という疑問は聞かなかったことにする。こんな僕のありのままを愛してくれる人を探している。 話を戻す。恋愛の話は泣きながら書くことになるからやめたい。 盛岡には、以前からよく行っていた店が多い。 だが、ここ四・五年の間でなくなってし
僕は以前から、よく「やらかす」人間だ。 周りからは「しっかりしている」とか「真面目」と言われたこともある。だが、それは違う。自分が「やらかす」側だと知っているから、注意を怠らないだけなのだ。 先日、こちらの記事を書いた。 インプット、読書についてなど書いた。 思ったより好評でした。読んでいただきありがとうございます。 このエッセイの中で、意図せず精神安定剤と酒を摂取してしまった話に触れた。 今日は、そのときの話をしようと思う。 20歳の頃だった。 あるとき、僕が所属して
幼少期の僕は、ひどい泣き虫だった。 今思えば、たくさんの出来事が「怖かった」のだと思う。 友達や家族のけんか。 先生に怒られること。 幽霊の出そうな近所の小屋。 ご飯をこぼすこと。 地震と雷と大きな音。 何かしら失敗をすること。 もう会えなくなること。 今も、あまり変わっていない。僕は、さまざまなことが怖いまま、大人になってしまった。 ちゃんと書かずに濁しておこうかと思ったが、いろんな方のnoteを見て、書こうと思った。ご自身やご家族の、身体や心のことについて、向き合ってい
18歳で僕は地元を離れ、盛岡での一人暮らしを始めた。 そのときの出来事は、今までもぽつぽつと書いてきたが、昨日ふと思い出した18歳の記憶について書こうと思う。 18歳で僕はさまざまな「初めて」を経験した。 初めての彼女、初めてのキス、そして、忘れられないのが 「初めて宗教に勧誘されたこと」 である。今思い出しても、ちょっとむかむかする。 ことわっておきたいのは、宗教を否定するつもりはないということ。 生活に密接していたり、心の支えになっていたり。そうしたことを否定するつもり
一人旅がしたい。 そう思いながらも実行に移せないまま、かなりの年月が経過している。 実行しない理由としては、僕の体調が主なものだ。大量の薬がかさばる。あと、行くところに迷っているうちにベストシーズンが過ぎてしまう、というのもある。 かねてより、鉄道旅というものに強い憧れがあった。西村京太郎サスペンスのような事態に巻き込まれたくはないが、ドラマティックな展開があるような気がする、のは僕だけだろうか。 盛岡時代、思い立って荷物まで用意し、盛岡駅に行ったことがある。 20歳も終わり
酔って何かしらの失敗をする。 誰しも少しの失敗ならあるはずだ。僕はそう信じてこの文章を綴る。 これからを担う10代の尊厳のために。 21歳、僕は大学からすっかり足が遠のいていた。 それまでに起きた、自分ではどうしようもなかったことや、自分がどうにかできたこと、全てに疲れていた。息をするのも面倒と感じていた。 そんな僕を心配して、友人は幾度も僕を飲みに連れ出した。大学に行くよりは足取りは軽かった。18歳の頃の軽かった足取りと気分は、どこかに去ってしまっていた。 盛岡市内のアパ
昨今、ニューヨークタイムズや某不動産会社の一件があり、話題になっている盛岡。 その件について言いたいことはたくさんあるのだが、それは置いておいて。 僕は18歳から7年間、盛岡で暮らしていた。大学に入学し、はじめての一人暮らしを経験し、さまざまな出来事があって大学に行かなくなり中退するまでの7年間だ。楽しさよりも、悲しさと無力感に充ちたその期間があっても、盛岡という地をいまだに愛しているのも不思議なものだ。また盛岡で暮らしたい。 それはさておき、その7年間に起きたことの中で、未