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18歳、迷い込む

昨今、ニューヨークタイムズや某不動産会社の一件があり、話題になっている盛岡。
その件について言いたいことはたくさんあるのだが、それは置いておいて。
僕は18歳から7年間、盛岡で暮らしていた。大学に入学し、はじめての一人暮らしを経験し、さまざまな出来事があって大学に行かなくなり中退するまでの7年間だ。楽しさよりも、悲しさと無力感に充ちたその期間があっても、盛岡という地をいまだに愛しているのも不思議なものだ。また盛岡で暮らしたい。
それはさておき、その7年間に起きたことの中で、未だに不思議なことがある。一度しか辿り着けなかった場所があることだ。
あの場所は、きっと異世界だったと今は思っている。
大学生になったばかりの18歳の春、僕は講義が終わったあとにふと、桜を見に行こうと思い立った。通っていた大学の学内にも素敵な桜が咲き誇っていたし、いわゆる名所もすぐそばにあった。しかし、大学に入ってはじめての一人暮らしとなり、やや気分が高揚していたであろう僕はそういう「一般大衆向け」な桜の名所で満足はしなかった。
「誰も知らないような穴場を見つけたい!」
そして、(相手がいないのに)デートとかそういうので「この人こんな隠れた名所を知っているなんて!」ときゅんとしてもらいたい。という思春期にしか発想に至らないような大きな下心が、内容がまったく頭に入らない講義で疲れ果てた僕を突き動かした。
すぐさま自宅に戻り、テキスト類を全て部屋に放り出し、財布と携帯電話だけ持って探索に繰り出した。気分としてはエル・ドラドやアメリカ大陸を探しに行くようなものだ。胸は高鳴っている。理由の半分はまだ見ぬ彼女とのデートという、完全なる妄想によるものである。
自宅アパートを出て、車通りの多い交差点に着いたところで、はたと気づいた。
どっちに向かえばいいのかわからない。
この広い盛岡市内のどこに「隠れた名所」があるのかなんて、暮らし始めて1ヶ月かそこらの田舎者の若造にわかるはずもないのだ。食事さえ学食かコンビニである。数多ある飲食店にすら入ったことはない。
家を出て1分弱で僕は途方に暮れた。
少なくとも来た道のほうにはない。大学の向こう側はまだ見ぬ魔窟である。噂では、田舎者は狩られて開運橋に吊るされるという。となると、この道に沿って左へ向かうか、右に向かうか。
信号が3回変わったときに僕は思いついた。
右だ。
なぜそう思ったのかはわからない。きっと右に向かえば目に入る岩手山が僕を呼んだのだ。岩手山にはすべてがわかっている。僕には何もわからない。
道沿いに進んでいく。北上川を見下ろす橋を渡って、またも思い至る。
このまま道沿いに北上したら、滝沢村(現・滝沢市)に着くだけじゃん。
しかも滝沢村までは距離がありすぎる。やはり道沿いではだめなのだ。誰もが行く大きな道に、まだ見ぬ秘境などない。迷い、苦しんだ者こそが何かを見つけ出す。
そう思ったとき、右側に細い道を見つけた。どうやら住宅街に向かう道のようだ。その日の僕にはその道が輝いて見えた。その日1回限りではあったが、輝いていた。きっとこの先に、何かある。
足取りは急に軽くなった。最初からそんなに重い足取りでもなかった。10分弱しか歩いていないのだから。心配なのは靴擦れだけである。
その道に入り、僕は進み続けた。進めども進めども、家、家、家。僕の実家近辺にこんなに家はない。そもそも建物がない。
でも家しかないなあ、帰ろうかなあ。そう諦めようとしたとき、これまた細い道を見つけた。不思議なことに、このときしか僕はこの道を見つけられなかった。
その道に入ってからの道順が、なぜかひどく曖昧な記憶になっている。頭に靄がかかったように、思い出すことが出来ない。それまでの景色は鮮明に覚えているのに、周りが家だったか、木々だったのかさえ今に至るまで思い出せない。
そういえば、その道に入ってからは誰ともすれ違わなかった。それだけは覚えている。時間帯のせいだろうか、としか当時は考えなかった。
どのくらい歩いたか、気がつくと細い川に面した道に出た。日はあまり差し込んでいなかった。その日は春にしては強い日差しがあったので、少し不思議だった。
少し奥に進むと道はそこで終わっていたのだが、突き当たりに花々が咲き誇っていた。桜だけではなかった。薄紅の花々が(残念ながら他の
花の種類がわからなかった)まるで桃源郷のように輝いていた。さらさらと水の流れる音がする。花は、きらきらと輝いている。
ついに辿り着いた。ここがエル・ドラドである!
もはや僕の思考からは妄想は掻き消えていた。美しい花々。そして水流の音のみがする、静寂。誰も見つけていないであろうこの楽園を、僕は見つけたのだ!
だが、僕は失念していたのである。カメラを持ってこなかった。そうだ携帯、と取り出した携帯電話の充電は、切れていた。
この美しさを誰にも伝えられないとは。僕は絶望した。そしてすぐに立ち直った。彼女と一緒にまた来ればいいじゃないか。まだ彼女なんていないけど。
誰もいない場所に向かって、また来るよ、と呟いた。風がふわっと吹いた気がした。
気がついた頃には大きな通りに出ていた。日は少し傾いている。いい場所を見つけた満足感と、歩き疲れたことによる空腹感で僕はいっぱいだった。その合間に靴擦れの痛みを感じながら。
いい機会だから、家の近所の食堂に入ってみよう。知らない場所も、知らない人も苦手だけど、今日の僕なら何だってできる。知らなかったものや人も、あの場所のように、きっと好きになれる。そう思いながら帰路に着いた。
食堂の席に案内されて少しした頃、携帯電話が鳴った。友人からのメールだった。切れていたはずの充電は、ほぼ完璧な状態だった。
「ずっと電話繋がらなかったけど、大丈夫?」
連絡の内容自体は他愛ないものだったが、最初の一文に、汗のせいではなく身体が冷えたような気がした。もしかしたら今日のことは、忘れるべきかもしれないと思った。
それから一年ほど、たまに思い出すことはあっても実際に向かうことはなかった。色々と他の出来事に振り回され、悩み、忘れかけていた。
大学2年の秋、ふとあの場所に行ってみようと思い立った。今回の探検で何事もなければ、あの日の出来事は単なる偶然だったと言えるから。忘れるような出来事ではないと、信じたかった。
同じ道を行く。あの頃より盛岡に詳しくなった。店も変わった。僕自身も、きっと。傷ついたこともある。傷つけたことのほうが多いけれど。泣かせた人ばかり。悲しませた人ばかり。
それでも、道は同じだ。岩手山は輝いている。僕は生きていく。
一歩、一歩と踏みしめる。ごめんなさい、ごめんなさいと思いながら。
しかし、住宅街に向かう道をいくら行けども、あの細い道を見つけられない。暗くなってきたので、その日は諦めて帰ることにした。
そんなことを何度繰り返しても、僕は盛岡を離れるその日まで、あの場所を見つけることはできなかった。だから勿論彼女どころか、誰かを連れて行くことは叶わなかった。
盛岡を離れてからも、ふとしたときに思い出しては疑問符で頭がいっぱいになる。あの場所は、果たして今もあるのだろうか。なぜ携帯電話の充電が、あの場所では無くなったのだろうか。今もあの場所があるとして、僕が行ったあの場所は、現実のものなんだろうか。
盛岡が話題になるたびに、僕はあの場所の美しさを思い出す。岩手山よ、教えてはくれないか。僕はあの日、どこに行ったのか。





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ナル
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