「頑張りすぎじゃない?」と言われて気づいた私の生き方④
皆さん、こんにちは!
フリーライターのユリです。
①と②と③に引き続いて、私がフリーライターになった経緯をご紹介します。
今回は大学院を卒業した後のお話です♪
20代の頃の悩みや葛藤はのちに良い経験になるといいますが…悩んでいる間はやっぱりつらいものですよね笑
私も20代前半は自分の理想の生き方と現実の間で悩み続けていました。
私の体験がどれだけ皆さんの参考になるかは分かりませんが、今の自分の生き方に悩んでいる人に「あなただけじゃないよ」と伝えられたら幸いです!
〈悩みに潰されそうになった20代前半〉
10代の思春期もいろいろと悩みを抱えていましたが、20代ではより現実的な悩みに直面していた覚えがあります。
大学・大学院で思う存分に自分の学びたかった事柄を学んでいた私。しかし、卒業後のビジョンはまったく考えていなかったのです。
周りの友達が卒業後は一般企業へ就職しているなか、私は文章作りや学問に携わりたかったので一般企業への関心はありませんでした。
というより、「自分が会社で"普通に"働いているイメージが浮かんでこなかった」と言ったほうが正しいですね。
友達にも「ユリが会社で働いているところは想像できない」と言われていたくらいです笑
大学院卒業間近の私
ここで、10代の頃と同じ環境におかれていることに気がつきました。「周りとは違う」ということです。
しかも、10代の頃は「変わった子ども」として見られるだけですんでいたものが20代では「変わった人」に「社会的じゃない」という要素がプラスされたような感覚でした。
大学を卒業したら会社で働くことが「現実的」でしたが、その現実に私は心が動かなかったのです。
けれど、当時は「大学を卒業したら企業へ就職」という選択肢しかないと思っていましたから一応就活もしました。
とにかく学問や文章に携わる仕事に就きたかったのですが、出版業界は狭き道なうえにかなりシビア。
私の理想とする仕事でも働き方でもなかったので、別の方法を探しました。
派遣社員時代の私
その時に見つけたのが正社員にならずに派遣社員として働き、副業をすること。派遣会社に登録していくつかの会社で働き、一方でクラウドソーシングにも登録して少しずつ文章を書き始めました。
派遣社員になることに対して両親は反対するかと思ったのですが、私の場合は意外とすんなり受け入れてくれましたね。両親ともに公務員なので、どうしても企業で働いてほしいわけではなかったみたいです。
また、「ブラック企業などで働くことになったらどうしよう」と心配もしていたようで派遣社員の方がいいかもしれないと思っていた節もあります。
とまあ、そんなこんなで卒業後すぐに副業としてライターデビューするとともに派遣社員として働き始めました。
挫折の鬱状態の日々
しかし、いざ働いてみると転職の連続…。
オペレーターや販売員、図書館司書などいろんな職業に就きましたが長続きしませんでしたね。
すぐに挫折してしまいました。
原因は「どれも自分の求めているものと違う」と思ったからです。
正社員になれないからとかじゃないですよ!
もともと正社員は目指してなかったので。
なんというか…毎日「お金のためだけに働いてる」という感じが自分の心を蝕んでいた気がします。
もちろん、お金は大切です。生きるためには必要ですからね!けれど、当時の私は大学・大学院卒業と同時に目標が消えてしまい心にポッカリ穴が空いた状態でした。
お金のためだけに働いて、休みの日はぐったりと休む。こんな生活が日々心の負担になっていたのです。
「会社へ行きたくない」「憂鬱」といった状態が続き、転職の転職。両親も「地元に帰って就職しなさい」というようになりました。
けれど、どこであろうと「一般企業で働くこと」がつらいのだから地元に帰っても同じです。それどころか両親に甘えて外に出なくなるのは目に見えていました。
だからこそ「地元には帰るまい」と思い、なんとか2年ほどは派遣社員やパートなどを続けていましたがとうとうPMSの鬱状態が悪化。
誰かから「頑張って」「もっと耐えなさい」と言われるたびに心が悲鳴をあげるようになっていたのです。
卒業前までは「頑張りすぎじゃない?」だったのに。
それは全然きつくなかったのに。
どうして?今はこんなに頑張っていてつらいのに。
ずっと心の中で自分の理想と現実の狭間で苦しんでいた気がします。外出もあまりせず、それこそ引きこもり状態。「自分はなぜ大人になれないのだろう?」と考える日々でした。
訪れた転機
派遣社員やパートをやり出して2年目のころ。
ちょっとした転機が訪れました。
卒業後からぽつぽつと途切れずに続けていたライター業でいくつか継続した案件をもらえるようになっていたのです。
そこで気がつきましたね。
私、ライター業だけは難しい案件でも続けられているじゃないか。
と。
ここで、私は自分の理想の働き方を見つけた気がしました。
絶対反対されるし迷惑かけるだろうけれど…
「フリーランスのライターになりたい」
と決心して26歳からはフリーライターを本業にします。
けれど、ここでも現実との狭間で苦しみましたね。
当然、生活的な面で心許ないからと両親には反対されました。(両親といっても父親には言っておらず、母親だけに相談していました)
そのうえ、当時はライティング力もそこそこ。
継続案件が取れるようになったとはいえ、食べていけるほどのものが取れるか不安もあります。
ただし、「自分の好きなことを仕事にしている」という生きがいや幸福感は人一倍でした!
引きこもりで後回しにする悪習慣を少しずつ治していき、本数をこなして頑張りました。そして、去年からクライアント様に直接営業をかけるようになった次第です!
今でも生活は安定しているとは言い難いですが、少なくとも心の負担は改善されました。
「頑張りすぎじゃない?」と言われていたことこそが私のするべき職業であり、天職だったのです。
自分の生き方に気づけた瞬間
自分の目標を失った気がして悩みすぎた20代前半。
しかし、「頑張りすぎじゃない?」と言われていたころを振り返ることで自分の生き方を見つけることができました。
今ではあの時悩んでおいてよかったなと思います。
自分の生き方を見つめ直すきっかけになりましたし、自分のライフスタイルを向上させることの大切さを知ることができました。
①でも書きましたが、これは私個人の方法です。人生の生き方を見つける方法は人によって違います。
私にとっては「フリーライター」が天職。他の職業は向いていないと気づいたという話です。
会社員をしながら副業としてフリーライターやフリーデザイナーをしている人は素直にすごいなと思いますし、企業で働いてる人も尊敬します。
どれも安定していて私にはできないことだから。
けれど、私にとって「フリーライター」という職業は誇りです。そう思えるようになったのだから、悩んだ甲斐がありました!
今、自分の生き方を悩んでいる人。
年に関係ない問題ですよね。
でも、自分の人生を振り返ったり身近なものに目を向けてみると意外と自分のライフスタイルが見つかるかもしれません。
悩んでいる間はとにかく視野が狭くなるもの。
私も悩んでいる時は「周りの声」や「現実の話」にばかり気を取られていました。
しかし、自分の生き方を見つけることに大切なのは「自分の声」です!
周りや現実が自分の人生を生きてくれるわけじゃありません。自分が生きるのです。自分の心の声に耳を傾けてみてくださいね!
今回はここまでです♪
次回は「自分の生き方」を見つけてからのことをお話します。
よかったら、また読んでくださいね!
フォローやスキもよろしくお願いします♪
ユリ
私の記事を気に入ってくださり、ありがとうございます!いただいたサポートはより良い文章を書くための勉強(本代)に使わせていただきます。