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コロナ時代の振り返りと進路迷子

今日はコロナ時代を振り返ってみたいと思う。

わたしがこのコロナ時代で感じたのは、正直に言うと、孤独と自分の限界だった。
コロナ時代はわたしにとって、まったく楽しくない時代だった。

就活時代の個人的なトラウマで、「○○が楽しくなかった」と人に言うと、「私は○○を楽しめなかった」と言ってるとみなされ無能と思われる、と感じている節があり、友達とかにはあまり言えていない。
(もっともあの時の面接官は、面接の時くらい強がれ、と言いたかったのかもしれないが。)

でも普通につらかった。

まず、あの頃の私は相当恋愛依存体質だったので、元カレに振られた直後にコロナになったのが本当に痛かった。

ちなみに恋愛依存体質の背景には、「心配」という名の親の価値観の押し付けによる自己肯定感の低さがあったのだが、それはまた別の話。

それでアプリをしまくった。

が、恋愛の原理がわかってなかった私は、約1年弱の間、精神不安定状態のまま空回りし続けた。

その間に転職活動もやってみた。

これも、何の自己分析も業界分析も職種研究も、何なら転職市場動向も調べないままやったものだから、当然うまくいかなかった。

職務経歴書を書き、進められるままに申し込んでは書類で落ち、行きたいのか行きたくないのかわからない会社の面接に、有給と上司からの疑惑を犠牲に向かった。

今考えれば、新卒の就活の時も、自己分析も職種研究も企業研究もすっとばして就活をしていたのは同じだった。

そう、わたしは新しいことをするのが本当に苦手なのだ。

まずもって勘が鈍く、調べるのをおっくうがり、そしてヒアリング力も人脈もない。

話は変わるが、今日会社で講話を聴いていて思い出したことがあった。

大学時代、本当に授業の内容に興味がなかった。

化学には興味が湧かないと何度も思ったが、辞めることはできなかった。

始めたことを辞める、もっと正確に言えば、自分が正規のルート(現役で大学を卒業して就職する)を外れるなんていう選択肢自体が考え付かなかった。

転部や仮面浪人という言葉は聞いたことがないわけでもなかったが、親が許してくれないと思った。

親との関係についてはまだ整理できていない部分が多いが、子育ては一種の洗脳の側面をはらんでいると思っている。

わが実家においてはわたしは長女で一人っ子であり、かつ母は専業主婦で父は放任主義であったため、母はじつにきびしかった。

成人した後は、遊び(プライベート)の部分についてはある程度自由にできた(門限が解除された)が、進路(オフィシャル)な部分となると、必ず親の目を気にした。

親が嫌な顔をしそうなことはできなかった。

門限についてでさえ、親に歯向かい、何度もけんかをして、門限解除を勝ち取るのに要したエネルギーは並大抵のエネルギーではなかった。

まして進路のこととなると、自分があきらめて家庭が平和なのであれば、そのほうがいいと思っていたのである。

最近、自分の人生を生きてもいいのだと、気が付いた。

息切れなので今日はおわり。

ソファに似合うスツールを買いに行ってくる。



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