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「こうじゃないとダメだ。当然こうすべき。」
「これが正しい。これ以外は絶対に間違い。」
「必ずこうあるべき、他に方法は無い。」

そんな一方的で自分よがりの大人や社会的な同調圧力に、小さな頃からなぜか冷めた視点を持つ子供でした。振り返ればとても些細なことばかりですが、人生とは思い通りにならないものだと達観していました。人当たりは良かったので友達にも恵まれていましたが、人に期待すべきではないし、期待しないと決めるから有難いと思える、より楽しめると考えていました。どこかで「なんの為に生まれてきたのか?」と見つからない答えをいつも探して考え込んでいる少年でした。

自分なりの答えを見つけたのは、社会人になってからでした。

そもそも人はひとりでは存在する意味がないし存在しえない。
人との繋がりがあってこそ存在している。
つまり、誰かとつながる為に人は生まれてきた。
良い繋がりも悪い繋がりもあるが、例え悪くても繋がりを持つことだけで生まれてきた意味がある。でもせっかくなら、繋がる人に役立ってこそ。
だから、より多くの人と出会い、より多くの人に役立てるように自分を高め磨くことに生きる価値がある。
自分よがりではない大切な誰かとの繋がりに価値がある。

自分なりに納得できて、人にも説明しやすいロジカルな答えを自分で見つけたと、どこかで誇らしく思っていました。しかし、自分が見つけた答えが、仏教が伝えてきた「縁起の思想」の一つの説明だったと四半世紀近く経って気づきました。

京都に生まれて京都で育ち、お寺の幼稚園と仏教系私立小学校に通っていたので仏教との接点は多い方だと思います。ただ、信心深い大人の一方的で盲目的な価値観には嫌気しかなく、また、意味が分からない宗教儀式は無駄で面倒だとしか思っていませんでした。なので、そんな自分が長年大切にしている気づきが、もとは仏教にあったと知りとても驚きました。

少し考えると、歴史のある仏教は日本文化のあらゆる所に編み込まれています。仏教の教えだとは知らなくても、日本で育っている中で様々な影響を仏教から受けていて当然でした。そして、新しい視点で仏教を知ると、仏教的な思考はとてもロジカルで現代科学と共通する点も多く、故に欧米の科学者に仏教徒が増えている事を知りました。古くて関係ないと思い込んでいた仏教に自分にとって新しい視点がある事を知り、50歳を前にして仏教をより深く学びたいと思うようになりました。


「この世界には絶対的なものは存在しない」

私が仏教を学んでいるなかで、最も大切だと思う視点です。
縁起の思想が伝えるように、あらゆる存在は繋がりあって存在しています。その繋がりはとてもダイナミック(動的)で、常に変化していきます。変化しない繋がりはこの世界に存在しません。絶対的なものは存在しないという事です。現代科学では、同様の概念を不完全性定理で証明しています。

人は不完全な存在なので、絶対的なものにすがりたいものです。あらゆる事に唯一の頼れる正解があることに安心を求めます。そして自分の信じた正解こそが、絶対的であって欲しいと願ってしまいます。しかし、残念ながら永続的に絶対的な正解は存在しないのです。あらゆる存在や繋がりは刻々と変化していくからです。そうであるにも関わらず、絶対的な正解があると期待して拘ってしまい、私たちは苦しくなるのです。

「絶対的な正解はこの世界に存在しない」と聞くと、この世界は儚く無情だと虚しい気持ちになるかもしれません。「そんな事はない、私の子供への愛情だけは絶対的だ!」などと抵抗したくなる気持ちもよくわかります。ただ、子供への愛情は無くならないかもしれませんが、残念ながら常に変化はし続けます。今の愛情は絶対的ではないのです。そして「この世界には絶対的なものは存在しない」とは、受け入れざる得ない現実なのです。

しかし、儚く虚しい一方で「この世界には絶対的なものは存在しない」との現実は、「この世界には無限の可能性がある」との視点にもつながります。なぜなら、目の前の絶望的な困難も同様に絶対的ではなく、刻々と変化し続けると教えてくれるからです。目の前の困難は今その瞬間はとても苦しくて、その苦しみや影響は絶対的で永遠に続くように感じてしまいます。しかし、その困難も刻々と変化を続けるのが現実であり、どこで大逆転があってもおかしくは無いのです。極めて能天気な視点かもしれませんが、「この世界には無限の可能性がある」も、絶対的なものが存在しないと同様に受け入れざる得ない現実なのです。

一般的に仏教とは、絶対的なものは何もないこの世界は儚く(諸行)無常、人生で避けられない苦しみの輪廻から脱する為、考えたくない死後の世界への教えなど、後ろ向きで暗いイメージを持つ方が多いと思われます。

ただ一方で、仏教とは「この世界には無限の可能性がある」との現実を受け入れて今を生きる大切さも伝えています。一人ひとりに無限の可能性がある世界も間違いなく存在すると伝え、極めて前向きで建設的な教えです。そして、今を生きて可能性を発揮するための現実的な実践手段を、長い歴史の中で研ぎ澄ましてきたのです。その実践手段は、現代科学でも実証され科学的な視点と矛盾しないことも少なくありません。

確かに、この世界は思うようにはならない事だらけです。
そして残念ながら、そんな現実を絶対的な宿命のように受け入れて、絶望感や無力感を感じざるえない状況も少なくありません。

そんな時には、縁起の思想が伝える「この世界には絶対的なものは存在しない」との現実を受け入れることが役立ちます。一休みして呼吸を整えて、自分が絶対的だと思い込んでいることに気づき、これからの可能性を見つけるきっかけを探して頂けたらと思います。

私は2023年6月に浄土真宗 大谷本願寺派で得度して僧侶にもなりました。これからは、アメリカに住む僧侶の一人として、日本の文化に編み込まれた仏教の前向きで建設的な教えと、その実践的で現実的な仏教的思考を広めていく役割を果たしたいと考えています。


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