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5分で学ぶ、構造主義とは何か?【レヴィ・ストロースの教え】科学技術は常に最先端ではない?

この記事では、構造主義の祖、レヴィ・ストロースを解説します。

まず、構造主義って何?を簡単に説明すると、人間の社会文化的現象の背後には、目に見えない構造があると考える思想のことです。

これでもよく分からないですよね…。

構造主義は、サルトルをはじめとする実存主義と対立的に表現されることが多いので、実存主義と比較しながら解説したいと思います。

テクノロジーが加速的に発展している現代にこそ、見つめ直したい思想なので、ぜひ最後まで読んでみてください!



 1. レヴィ・ストロースの構造主義


クロード・レヴィ=ストロースは、1908年ベルギーのブリュッセル生まれのフランスの社会人類学者、民族学者です。父親は画家、曽祖父は作曲家という芸術一家に生まれたため、幼少期から芸術に親しんで暮らしていました。

少年期には、過去にフランスで流行っていたジャポニズムへの関心があり、日本の浮世絵や美術工芸品にも興味があったそうです。

その後、マルクス主義の影響を受けた高校生の頃には、社会主義運動にも参加し、政治的な活動も開始します。ソルボンヌ大学卒業後には、アグレガシオン(哲学教授資格試験)に合格、高校教師として働き始めます。

同じ歳の試験の合格者には、サルトルの内縁の妻であったシモーヌ・ド・ボーヴォワールやメルロー・ポンティといった有名人もいました。

 

アマゾンの原住民族調査

教師として教鞭を振るうかたわら、ストロースはパリ大学での指導教授の一人であった社会学者セレスタン・ブーグレから、ブラジルに新しくできるサンパウロ大学の社会学教授にならないかと誘われます。

彼はこれを受け、ブラジルでの生活を開始。

そこでは教授をしながらも、アマゾン川の支流に住む原住民族の調査を行い、徐々に構造主義の思想を固めていくこととなります。


ブラジルでの長期横断調査を終えたのち、第二次世界大戦前夜にフランスに帰国。その後、第二次世界大戦の激化に伴いアメリカに亡命します。

そんな世界の情勢の中でも、ストロースは1948年頃に博士論文として完成させた「親族の基本構造」をはじめ、「悲しき熱帯」、「野生の思考」などの書籍を精力的に執筆しました。  


実存主義の存在

レヴィ・ストロースと言えば、“構造主義”。 これは、人間の社会文化的現象の裏側には、目には見えない構造が存在するという思想です。

簡単な例えで言えば、"じゃんけん"のような三つ巴の対立構造をもつ遊びは、多くの文化に共通している、といったものです。


1950〜60年代のおいてそれまで勢いのあったのは、サルトルをはじめとする“実存主義者”。

サルトルは、人間とは歴史に投げ込まれた自由な存在であり、自由の刑に処されている人間は、自ら積極的に歴史に参加することによって、新たな歴史を作ることができると語りました。

この考え方は、社会情勢が不安定であった当時、民衆を熱狂させ、一大ムーブメントをつくり出しました。  


西洋的な歴史観の強要

しかし、構造主義は、実存主義に“待った”をかけます。サルトル的な歴史観は、西洋の歴史を前提としています。

しかし、他の文明や民族を考慮していないため、他からみれば偏見であり、自由な人間によって歴史がより良い方向に進むという実存主義の主張は、西洋的な歴史観の強要であると、ストロースは捉えました。

さらに彼は、サルトルの“人間は根源的に自由である”という主張に対し、人間の思考や行動は、その根底にある社会的・文化的な構造に支配されているのではないかと反論したのです。  


2. 野生の思考の発見


先に述べたとおり、レヴィ・ストロースが構造主義の思考に行き着いたきっかけは、南米に住む“未開人”の研究に由来します。

西洋文化的な発展は、例えるなら設計図のある進化。過去の歴史を通して、未来のある地点に向かって合理的・論理的に進化が進むことを良しとしています。

これは、新たな発見や技術革新による科学的思考とも言えます。しかしそうした進化の先には、戦争や環境破壊といった問題もはらんでいました。


一方で、未開人の歴史や日々の生活には進化の設計図はありません。西洋的な歴史観が存在しないです。

彼らはその日暮らしで、そこにあるあり合わせの素材や材料を使い、生きています(これをブリコラージュとも言います)。


野生の思考

こうした未開人の生活は、西洋人から見ると、原始時代の自分たちを見ているようで、歴史に置いていかれた人たちと捉えてしまいがちです。

しかし、民族単位で冷静に考えてみると、その民族が生存していく上で非常に合理的・論理的な生活だと判断することもできます。

また、未開人の暮らしぶりは、無意識的に西洋文明を拒否しているとも取れます。彼らの生活では、大規模な生産や環境破壊はありません。

ストロースは、このような未開人の思考を、“野生の思考”と表現したのです。


未開人の思考を認める

野生の思考では、未開人の文化を、西洋的な科学技術の発展における途中の段階にあるとは考えません。

一方で、西洋からの他の文化に対する見方は、それらの文化も十分な時間が経てば、自分たちの位置まで追いついてくると思いがちです。

しかし、ストロースはこれを傲慢な考えとし、野生の思考をはじめとする西洋以外の文明・文化は、科学的思考とは別の体系をとっており、違った方向性を持っていると言います。

西洋的な偏見を捨て去り、未開人の思考を全く異なる文化体系にあると認めると、そこから見えてくるものがあります。

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