細長い彫刻の何がすごい? アルベルト・ジャコメッティを解説(実存に対する彫刻作品と絵画)
いまにも折れて壊れてしまいそうな、指差す男のブロンズ像。
実はこれ、2015年にクリスティーズというオークションハウスで、当時史上最高額の1億4,100万ドルで売買された、20世紀後半の彫刻家のアルベルト・ジャコメッティによって制作されたもの。
可能な限り、余分なものそぎ落とし、人間の本質に迫ろうとするその彫刻は、哲学的な疑問、実存論や現象学的な問いを提示します。
また、彼の多くの作品は、シュルレアリスムなどの影響を受けており、細いながらも周囲の空間を飲み込むほどの不思議な存在感を放っています。
この記事では、そんな実存の彫刻家・ジャコメッティについて、その生い立ちや壊れそうな彫刻表現に至る背景について解説します。
ぜひ、最後までご覧ください!
1. シュルレアリスム時代
アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901年10月〜1966年1月)は、スイス出身の彫刻家、画家、版画家。
後期印象派の画家として有名なジョヴァンニ・ジャコメッティの息子として生まれ、幼少期はスイスのイタリア国境に近いボプレガリア渓谷の小村スタンパで育ちます。
また、幼い頃は父からの影響のもと、芸術に関心を持ったそうで、実際ジャコメッティは、1922年にパリに出てからも、しばしばその家に戻っては制作。
高等学校卒業後、ジュネーヴ美術学校に入学するも、早々に絵画への興味を失い、ジュネーヴ工芸学校にてモーリス・サルキソフの下で彫刻を学び始めます。1922年には、パリへ移住し、世界的な彫刻家・ロダンの弟子、アントワーヌ・ブールデルの教室に断続的に約4年間通いました。
さらにこの頃から、ピカソやミロ、バルテュスらとの交流があり、その影響で作品表現にキュビスムまたはシュルレアリスムを取り入れはじめ、徐々にシュルレアリスムの芸術家として知られるように。
1927年の最初の個展では、鳥かごや抽象表現、キネティック(動力のある芸術作品)などの実験彫刻を発表しており、そのスタイルは定まっていませんでした。
そこから、球と半月状のオブジェが桜の中で出会う《吊り下げられた球(1930-31)》の制作をきっかけに、アンドレ・ブルトンの目にとまり、シュルレアリスム運動に誘われて参加。
しかし父を失った翌1934年、第二次世界大戦に突入していく時代、ジャコメッティは初期に試みていたシュルレアリスムを放棄。
ブルトンらと訣別するも、1935年にモデルを起用しての彫刻の制作をスタートさせます。
2. 小さく細長く、見ることに誠実になる
1937年、見ることに誠実になろうとするジャコメッティは、恋人を遠くに見た体験の彫刻化を試みます。しかし、作品がどんどん縮小することを回避しようと高さを固定すると、今度は細く。
さらに、1936年〜1940年にかけては、人間の頭部の制作に集中するも、余計な部分がどんどん削られ、小さく痩せていきました。
1938年〜1944年までの間では、彫刻の最大高さはわずか7センチであったそう。その小ささは彼と彫刻のモデルとの実際の距離感を反映しているとも言えます。
そんな試行錯誤の果てに、1941年頃、細長い人物像に到達。
(細長い彫刻は、最後には自ら破壊する作品も多く、1935年〜1947年の間、ジャコメッティは一度も個展を開いていません。)
ちなみに、この頃の彫刻のモデルは、彼の妹やベーコン作品のモデルとしても有名なイザベル・ローズソーが、弟のディエゴ・ジャコメッティなどを好んでモデルとして起用しました。
その多くの作品の見た目は、何度も削ぎ落とす加工を繰り返した結果、孤独でひどく衰弱した人物に見えます。
他方、1946年にアネット・アームと結婚した後は、彫刻はどんどん大きくなっていきました。
私たちがいまよく目にする、大きく、かつ細長い彫刻はこの頃から始まります。
ジャコメッティは自身の作品について、女性を目にした時に感じる感情を表現していると説明しているが、その後に想像力を頼みに制作することに満足できず、視覚を頼りに生身の人間をモデルにした人物像に専念。
ジャコメッティの目に映るモデルの存在は、次第に薄れていくこととなるのでした。
3. 指さす人と実存主義者サルトル
《指さす人》は、1947年のジャコメティの作品。
脆そうだが真っ直ぐに立った男が左腕で身振りを示し、右腕を伸ばして指し示しています。
彼が何を指しているのか、また何故そうしているのかはわかりません。
名も無く孤独な様子は、ほとんど骸骨のよう。
実存主義の哲学者であるジャン=ポール・サルトルにとって、そんなジャコメッティの彫刻は「つねに存在のないものと、実在するものの中間」でした。
サルトルにとって、これらの彫刻は意味に充ちたもので、彼は次のように言っています。
ジャコメッティは、作品の制作にあたり、ブロンズに鋳造する前の準備として粘土で一度制作します。
それから身体の筋肉組織を削り取るので、肉は周囲の恐ろしい空虚に食べ尽くされたかのように。
あるいは周りの空気が敵意を込めて肉体を圧迫しているように感じられます。
《指さす人》の表面は作家の指跡が刻まれ、まるで焼け焦げたか腐食したかのようにざらついていますが、遠くから眺めても周りの空間を圧倒するほどの力強さがあります。
のちに美術批評家たちは、彼の作品を“表現主義”や“フォーマリズム”と呼びました。
また、20世紀のモダニズムと実存主義のあいだの、空虚で意味を喪失した現代的な生活を表現しているとも批評しています。
そんな彼に、一世一代の大仕事の依頼が舞い込んできます。
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