マインドフルネスに基づいたコンパッションの神経科学
藤野氏は、瞑想やマインドフルネスといった身体感覚が中心の世界において、その必要性や効果を科学的に検証している人物だ。自ら瞑想を習慣としており、その感覚的な効果がなぜ生まれるのかを科学で実証できる貴重な方として、今注目が集まっている。今回は、日常生活の意思決定の場面で自らの感情・身体感覚に気づく重要性や、医療現場などで多く見られる「共感疲労」の問題について、マインドフルネスや瞑想がどのように有効かを語っていただいた。
■私たちに影響を与えている刺激・感情に気づくには
僕は、元々経営学会計学を大学で専攻し、就職後も経営管理部で会社の数字を見る仕事をしていたという、全く畑の違う人間でした。でも、ある時働きすぎて体調を崩してしまい、どうしたら回復するかと方法を探していた時に、ヴィパッサナー瞑想に出会いました。10日間集中的にやることで、非常に心身の調子が回復するのが感じられたのです。でもいくら他の人に効果を伝えようとしても、身体感覚的なことなので非常に難しい。むしろ、説明しようとすればするほど怪しい印象を与えてしまうことがありました。そこでその効果をより科学的なアプローチから検証できないかという思いで、2012年から「集中瞑想と洞察/瞑想の神経基盤の解明」というテーマで研究に取り組み始めて、現在に至ります。研究以外にも、医療従事者向けのセルフケアプログラムのサポートもしていますが、このプログラムはマインドフルネスに根ざした内容になっています。
さて、マインドフルネスとは、「今この瞬間に生じている経験にありのままに気づきながら、注意をとどめていること」と定義されています。私たちの中では、外で起こっている出来事が視覚情報や身体感覚、いろんな形で常に処理され続けているわけですが、その中の1つに囚われるのではなく、様々なことに満遍なく気づけてるという状態がマインドフルな状態であるといえます。
感情や外部からの刺激は、知らず知らずのうちにも私たちの意思決定にも影響を与えています。例えば、朝パートナーと喧嘩してイライラした状態で出勤したとします。そこに部下が、仕様もないミスの報告をしてきました。すると普段は怒らないことなのに、その日はものすごく叱ってしまった、というようなケースです。これは感情的に”プライミング"がかかっていて、何か嫌なことを言ってしまうモードになっているということです。
プライミングというのは、先行の学習や記憶が、後続の別の学習に無意識に影響を与えることです。例えば、皆さんに「満月・歯磨き・ベッド」という3つの言葉を覚えてもらいます。その後、”○くら"という言葉を出し、○に当てはまる言葉はなんですか、と問います。すると8割くらいの方は”まくら"と答えます。3つの言葉で頭の中が夜のモードになっているんですね。あるいはお腹が空いている人に質問をしたら、”いくら"と答えるかもしれません。3つの言葉によって、あるいはその時の身体の状態によって、思考が影響を受けているわけです。
こうしてみると、自分たちでは気づかないレベルの、関係ない情報に振り回されてしまう可能性があります。そうならないためにはどうしたらいいのでしょうか。一つ有名な、古典的な研究があります。アメリカの大学生を対象に「あなたの生活の満足度はどれくらいですか」というアンケートを電話で行ったという研究です。すると、晴れの時には満足度が高いという人が多く、雨のときは低いという人が多い、という結果が出ました。これは、無意識下で天気の影響を受けていると言えます。ところが、最初に「今日の天気は何ですか」と質問した後にアンケートに回答してもらうと、雨の日の満足度が高くなったのです。つまり情報が意識化されることによって、感情への影響が低くなったということなんです。マインドフルネスは、この意識化の効果があると言えます。自分の感情に気づき、その中から関係のある情報だけを使って意思決定をしていく。これがマインドフルネスな意思決定なのです。
マインドフルネスな意思決定をするために、自分の身体感覚をどうモニタリングしていったらよいのか。一番わかりやすいものが、呼吸です。呼吸はとても面白い機能だと思います。人間の身体機能は、心臓や内臓系のように無意識に動くものか、手足のように意識的に動かすもの、いずれかしかないことがほとんどです。でも呼吸は、意識的にも無意識的にも動かせるという、非常に興味深い機能を持っているんですね。マインドフルネスでは、自然に生じている呼吸を、意識的に観察するということをやっていきます。これはとても難しいことで、実際にやってみると意識的に観察した瞬間に、呼吸はぎこちなくなります。意識した瞬間に、対象のものをいじくり回してしまうというのは、呼吸に対してだけでなく、自分の体感覚や感情など、いろんなことについて言えます。ありのままの状態を受け入れる、観察するということは、それだけ難しいことなのです。でもトレーニングを積み重ねることでできるようになります。まずは呼吸でそれをトレーニングして、いろんな感覚感情をあるがままに観察できるようにするということを瞑想を通じ行うことができます。
■人間の脳は共感する仕組みを持っている
これまで話してきた、呼吸に注意を向けること、体の感覚に気づくことは、仏教では”智慧”と表現されます。仏教には智慧の他に”慈悲"と言われるものがあり、智慧と両輪を成している存在です。慈悲の部分がコンパッションという風に最近表現されています。
慈悲の瞑想というものが話題になっていますが、それはなぜかというと共感の中には、相手の状況を理解するときに、相手の苦しみに巻き込まれてしまい、気がつくと自分自身が疲れてしまっている”共感疲労"の問題が大きくあるからです。いかに相手の状態を理解しながら、目の前の人の苦しみと距離を置いて共感疲労にならずにいられるか。共感で留まる場合と共感疲労になってしまう場合の違いは何なのか、瞑想はその鍵になるのではないかということで、今興味を持たれています。
まず、この共感という機能はどのようなものなのかをみていきましょう。この機能は生まれたときから皆さんの中に備わっているものです。例えば、サルの赤ちゃんに向かって舌をペロっと出してあげると、サルの赤ちゃんも自分の舌をペロッと出すことが観察されます。これはすごく可愛らしいんですが、同時にとても不思議な現象でもあるんです。なぜなら生まれたばかりの赤ちゃんは自分の顔がどんな風になっているかも理解できていないにも関わらず、同じことができるからです。その理由の1つとして考えられるのが”ミラーニューロン”の存在。ミラーニューロンによって、相手が手を動かしているのを見たときに、自分の中でも手を動かしたときと同じ脳領域が活性化するような体の仕組みになっているのです。
これは動きだけではなくて、感情についても起こることがわかっています。MRIの中に入った人に、手に直接痛みを与え、その時に活動する脳の領域を調べます。その後MRI内の映像で、その人のパートナーの手に同じような刺激を与えるの見てもらい、その時に活動する脳領域を調べると、全く同じ領域が活動しているということがわかっているんです。自分の体の感覚と感情の動き、相手の体感覚と感情の動きを想うときの動きは全てつながっているのです。
これは、生物学的に見ても理に適っています。人間の脳はただでさえ容量が限られているので、領域を一緒にし、別のもので自他を切り分ける効率的な方法を進化の過程で戦略的にとったと見られています。ただし、自分と他人を何を持って切り分けているのか、ということはまだわかっていません。反応の強さなのか、ネットワークの微妙な違いなのか、時間的な反応の違いなのか、謎のままです。とにかく、反応している部位は同じことからも、人間の脳は他者に共感する仕組みを持っていますし、自他を混同しやすい仕組みになっている、とも言えます。
■共感疲労を下げるのに有効な”慈悲の瞑想”
ではどんな条件でも、自分と同じように体感覚・感情の部位が反応するのでしょうか。例えば、ある人が腕に針を刺されている映像をぱっと見ます。すると僕らは腕に痛みを感じるように、同じ脳領域が活性化します。でも「これは鍼灸の治療中なんですよ」と言われると、どうでしょう。途端に痛みの脳領域の活動がなくなります。ここからわかるのは、相手がどんな属性か、どんな状態なのかという認知的なものの見方を変えるだけで、僕らは共感の度合いが変わったりするということです。
さらに、相手の立場に立ってみるのか、自分の立場で考えるのかで、共感度合いが変わることがわかっています。被験者に、ある苦痛に満ちた大学生のストーリーを聞かせる研究があります。その時に、被験者には3グループに分かれてもらい、それぞれ「できるだけ客観的に聞いてください」「それが自分事だったらどういう風に感じますか」「相手がどんな風に感じていると思いますか」と提示しながら話を聞いてもらいました。すると、客観的に聞いたグループは、相手に対する共感が低くて、共感疲労も低い。自分事のように聞いたグループは、相手への共感も高いが、自分の共感疲労も高くなった。ところが、相手がどう感じているかを考えていたグループでは、共感度は高かったはが共感疲労が低かったと言う結果になったんですね。できるだけ相手の苦しみを理解しようとする時には、相手が自分と同じ人間だと自分と同じグループである意識を持ちつつも、自分ごとに感じるのではなく、相手から見てどれだけ大変だったかという視点を持つことで、こうした結果を得られるのではないかと思います。
ではどうやったらこの状況を作り出せるのか。それは、プライミング効果を利用するということです。先ほどと同じ学生の話を聞く設定で、今度は何もせず話を聞くグループの他、いくつかの介入をするグループに分けます。介入条件の1つ目は、両親に愛情深く助けられた大学生の物語を先に聞く。2つ目は、自分がかつて誰かの愛情に包まれていたときの記憶を思い出してくださいと表示されながら話を聞く。3つ目は、愛情、包容などといった慈悲に関する言葉を、画面途中にサブリミナルレベルで提示する。すると、何もせず話を聞くグループは共感度が低かったのに対し、介入されたグループはいずれも、相手に対してきちんと共感をした上で、共感疲労は低いという結果になったんです。
慈悲の瞑想というのは、このプライミングの効果があるのではないかと思います。慈悲の瞑想では、例えば「生きとし生けるもの幸せでありますように」といったことばを頭で唱えます。これは、なんだか胡散臭いもののように感じられると思いますが、先ほどのようにかつて誰かに愛情深く助けられた、自分が愛情に包まれたときの記憶を思い出すだけで、みんなが幸せになってもらいたいという慈悲のモードになると言えるわけです。そして慈悲の瞑想は「私は苦しみから解放され幸せになります」「尊敬する人は苦しみから解放され幸せになります」「私の嫌いな人は苦しみから解放され幸せになります」というようなことを頭のなかで唱えますが、これはどんどん視点を変えていくトレーニングにもなるわけです。実際、こうした授業を6時間の授業を受けて瞑想を学んだ人たちが、1週間から2週間、1日数分トレーニングをし続けると、実際に苦しみを抱えている人を見たときにその人を助けたいというポジティブな感情が高まる、という研究結果もあります。まだまだ科学的に検証すべき点はありますが、言葉を頭の中で繰り返すだけでも自分でそのモードを作っていくことができるということ、瞑想を通じて視点を変えるトレーニングになっているということは言えると思います。
現代は自分の意思に反映されるような情報、刺激が溢れています。その中で、感度を下げずに自分の状態に耳を傾けながら、相手への共感で共感疲労状態にならないようにするのは、難しいことです。ここまでの流れで検証してきたことからも、マインドフルネスや慈悲の瞑想は、相手への思いやりを持ちながら自分を守るための、キーとなるかもしれません。
文:武藤あずさ 撮影:梅田眞司
<スピーカープロフィール>
藤野正寛氏
京都大学大学院教育学研究科博士課程/日本学術振興会特別研究員(DC1)。神戸大学経営学部卒業後に、医療機器メーカーに7年間勤務し、経営企画管理業務に従事。海外駐在員時代に、10日間のヴィパッサナー瞑想リトリートに参加し、瞑想が身心を健康にすることを体験的に理解し、「働いている場合ではない」と退社。京都大学教育学部に編入学し、現在に至る。
現在は、瞑想の実践者かつ研究者として、瞑想実践を通じてでてきた問いをもとに、MRIなどの実験装置を用いて、瞑想の脳研究を進めている。特に、智慧と慈悲を育むマインドフルネス瞑想とコンパッション瞑想のメカニズムや、それらのつながりの解明に取り組んでいる。