この先の生き方(私の人生護身術)第1章#1
生き方と人間関係(第1章)#1
”いい人”になる必要はありません
”いい人”になる必要はありません。と言っても、人をイジメたり、非人道的な行為をしても良いと言っている訳ではありませんし、電車やバスの中で高齢者や具合が悪い人に席を譲る必要がない、困っている人や具合の悪い人を見捨てろ。と言っているわけではありません。
私は、”いい人”の中には損している人もいると、私は最近つくづくそう思います。そう思っている人が私だけではない根拠として「いい人をやめる」関係の書籍が数多く出版されているほか、ネット上でも相当数上がっております。
私が経験してきた中で、世の中には”いい人”を利用する人が大勢おります。例えば、仕事を頼めば断らない人に仕事を頼み、自分は厄介な仕事から逃げる。それで相手がトラブルに巻き込まれても、過労で病気になっても、当の依頼者は何も感じていないものです。そして、周囲も「無理して引き受けるから・・・」と言って、同情してくれる人も少ないかも知れません。
なぜなら、人を利用する人の中には、あくまでも自分が高い評価を受けるために他の人を利用しているので、自分の事しか考えていないからだと私は思っておりますし、人を踏み台として利用し、自分が優位な立場になった人、保身のためにやった人も同じです。
でも、”いい人”は薄々気づいているのですが、なかなか断れないんですよね・・・。それは自分自身が立場が弱かったり、相手との人間関係や、評価を気にしてしまったりしてしまうのですよね。まして業務命令ともなれば、拒否はできません。それを理解した上で、自分にとって無理があると感じたものは、断れるものは断った方がいいと思います。
だいたい人を利用しようと思っている人の中には、ワンマンな人や威圧的な人も多いと私の経験から感じています。その様な人たちは、面倒な事や自分にはできない事、更には自分自身の評価に繋がらないことを丸投げする傾向にあります。要領のいい人は、それを見越して言い方は悪いのですが、うまく避けられるのですが、”いい人”は受けてしまうのです。
その性格を理解したうえで、なんでも安請け合いせずに、やるからには感謝してくれる人、しっかりと評価しくれる人、手柄を独り占めしない相手でないと、一生懸命やった側になんのメリットがあるでしょうか。今はボランティア活動でも評価される時代です。もし評価されない、評価が難しい場合は、正直言って貸し借りの問題です。しっかりと貸しを作っておき、ちゃんと返してもらうこと。それができていないうちに再度頼んでくるようなら、ただ単に利用されているだけで、馬鹿にされている、もっと言えば奴隷と同じです。
私の経験で、人に仕事をやらせておいて、自分は何もしない。おまけに感謝もしない、評価もしない。それでは自分自身にはメリットはなく、デメリットしかありません。そんな人からの頼みに対して、”いい人”になる必要はないのです!
私は若い頃「物事は損得勘定で物事を考えてしまってはダメだ!」と教えられてきました。でも、年齢を重ねるにつれ、人は得するところにしか集まらず、得しなくなると分かった途端、さっさと離れていきます。そんなの人じゃない!と思う方もいるかも知れませんが、それが人っていうものです。私はそう思うことで、今までの固定観念から脱却され、気持ちが相当楽になりました。
何が言いたいかと言うと、人を利用してまでも、高い地位や役職で上に立った人には、権力から人が集まり、それを支えた人には何もないケースもあるという事です。結局、人間、信じられるのは自分だけなのではないでしょうか。
そんな私は、自分自身に慰めの意味もあるのかのしれませんが「神様がちゃんと見てる」と言う言葉が大好きです。陰ながら努力をしていたり、人を人と思って配慮していた人が報われた時、また、困っている人に手を差し伸べた後、いいことがあった時の言葉であってほしいと同時に、人を利用した人や悪いことをした人、人を傷つけた人が、罰を受けた際の言葉だと私は思っております。
もし、一生懸命努力しても一向に報われない時に、神様なんて・・・。と思うこともあるかもしれません。そんな時、もしかしたら神様は「早く気づけ」と言っているかも知れません・・・。
簡単に、”いい人”になる必要はありませんと言ってしまいましたが、もう一度言うと、会社などの組織となれば難しいことは事実です。悪意のある人は立場を利用して命令してくるわけですから、質が悪いです。これに対する答えはまだ出ていませんが、できるだけ関わらないようにするこが精一杯なのではないでしょうか・・・。そのような方が、心を入れ替えてくれることを切に願います。
〇ひとこと
できる限り、利用されるだけの”いい人”はやめなさい。