この女
森絵都が大阪のドヤ街を書く。この違和感に面白そうなニオイを感じて衝動買いしました。
森絵都といえば『カラフル』や『DIVE!!』シリーズなど映像化された青春小説を思い浮かべる人が多いかもしれない。もともと児童文学でデビューした彼女は絵本の著作も多い。身の回りの人たちと話していると、あまり大人向けの小説のイメージはないようだ。
私自身は、どちらかというと女流作家としての森絵都の作品が好みだ。直木賞を受賞した『風に舞い上がるビニールシート』の他にも、『いつかパラソルの下で』など、人生に行き詰った主人公が手探りに軌道修正を図る姿を描く作品がとても面白い。今回読んだ『この女』(文春文庫)も、読めば読むほど物語に呑まれていく、強い芯を持った作品だった。
舞台は1980年、大阪の釜ヶ崎。主人公・甲坂礼司はある日、ドヤ街に住み着いた大学生・大輔からひとりの女性の私小説を書くよう依頼を受ける。きっかけは、大輔のゼミ課題であった短編小説を代筆したこと。その小説は荒削りながら、教授から賞賛を贈られる(もちろん、代筆もバレる)。今回の依頼は、その教授からの推薦だった。依頼主は大阪を地盤に手腕を振るうホテル業の社長・三谷。手付金は100万円。破格のギャランティの誘惑に抗えず、礼司は小説のモデルとなる三谷の妻・結子と出会う。しかし、結子は会うたびにデタラメな身の上話ばかり口にする。しかし、そのデタラメな話もよく聞いてみると共通点があり……。
礼司、結子ともに前半はあまり人間味のある描かれ方をしない。礼司は何を考えているかわからないし、結子のキャラクターも現実味に欠ける。最初はむしろ人懐こい大輔の方が人間としてわかりやすい。ページをめくるごとにその理由が明かされていく巧みな演出に、なるほどと手を打つ。
主人公の礼司が抱える秘密、結子が隠したい過去、三谷がなぜ小説を書かせたいのか、依頼を橋渡しした大輔の行く末。謎解きもあり、サスペンス風味もあり、人情や恋愛もある。エンタメ要素がふんだんにありながら、主人公とヒロインだけがキャッチーな流れに乗り切らない。そこにこの作品の魅力がある。
苦悩した過去を持つからこそ人と上手く関われない2人。小説のモデルと書き手としての関係を超え、いつの間にか礼司は自らが物語を紡いでいく登場人物として描かれる。一線を引いて見ていた世界に飛び込み、物語の一員になってしまうのだ。書き手が呑まれてしまう物語の結末はいかに。ぜひお試しいただきたい。