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自己嫌悪で脳をいじめないで

noteやInstagramで目にする、他人の目覚ましい業績。
それを自らの状況と比べて「ああ、自分はだめだな」と思うことが増えた。

「このまま自分の価値が示せなければ、私はどうすればいいんだろう」

「自分の居場所はどこにあるんだろう」

自分と他人を比べるたびに、色んな思考が駆け巡る。

そんな思考が頭の中を駆け巡ると、何も手につかなくなる。

ぐるぐると考え続けるうちに疲れ果て、結局何も解決しないまま眠りにつく。

そんな日々を過ごす中で、あることに気が付いた。

「何もできない自分を嫌っている割には、自分が何かするための努力をしてないな」

「むしろ自分は、自己嫌悪によって自分自身を過剰に追い詰めているのではないか…?」

そこで、私は改めて自己嫌悪という感情を整理し、科学的にその仕組みを捉えてみることにした。

そして、それを踏まえて、どうすれば自己嫌悪を減らせるのか考えたいと思う。


自己嫌悪を科学的に捉えてみる

まず、自己嫌悪を科学的に理解するために、いくつかの心理学的な概念を確認してみたい。

まず、自動思考という言葉がある。これは、ある出来事があったときに瞬間的に浮かぶ考えやイメージを指す。極端にネガティブな自動思考を行えば、合理的な判断ができない状態に陥るという[1]。

次に、反芻思考という言葉を紹介したい。これは、ネガティブな出来事を何度も思い返してしまう考え方を指す[2]。

上記2つの単語を使って、自己嫌悪を捉えるとどうなるか。

まず、何かの出来事が起こった時に、自動思考によってネガティブな考え方が頭に浮かぶ。

次に、反芻思考によって、一度頭に浮かんだネガティブな考え方を、何度も何度も繰り返す。

そうして脳に過剰な負担がかかると、脳の機能が一時的に低下する脳疲労を起こす[3]。

人は1日に約35,000回もの意思決定をしていると言われている[4]。

これだけでも脳は酷使されているのに、さらに自動思考や反芻思考のような「余計なタスク」を加えれば、脳疲労が重なるのは当然だ。

ある時は生産的な活動を行い、またある時は目の前の現象を楽しみ、自分にも他人にも価値をもたらす脳。

そんな脳を自己嫌悪でいじめて疲れ果てさせるのは、誰のためにもならない。

そんなことを改めて感じた。



「自己肯定感」がなくても良い

では、自己嫌悪をやめるためには何をすべきか。

自己嫌悪をやめるには、「自分を好きになる必要がある」と考える人もいるかもしれない。

しかし、本当にそうだろうか?

私は、「自己嫌悪しない」ということは、「自分を好きになる」ということとイコールではないと思う。

にんじんやキャベツのような食べ物を思い浮かべてほしい。

特別好きではないが、嫌いでもない、そういうものは誰にでもあるだろう。

それと同じように、自分をニュートラルな存在として捉えるのはどうだろう。

自分を無理に好きにならなくてもいい。
ただ、嫌わなければいい。

それだけで、自分に対する考え方もぐっと楽になるはずだ。




まとめにかえて

今でも、自分に完全な自信があるわけではないし、心から「自分が好き」と思えるわけでもない。

それでも、時間は流れていく。

留学生活、大学生活、20代。残された時間は目減りしていく。

それなら、自己嫌悪で脳を消耗するのではなく、そのエネルギーを別のことに使いたいのだ。

与えられた時間で生み出せるものを最大化するために、「あえて」自分を嫌わないでいたい。



参考文献

[1] "自動思考とは?改善する方法も併せて解説". かわた.  https://terapi.jp/column/automatic-thoughts-improvement/ (2025-01-20)

[2] "ぐるぐる思考(反芻思考)とは?治療や対策について". https://tokyo-brain.clinic/psychiatric-illness/depression/6045 (2025-01-20)

[3] “寝ても取れない疲れは「脳疲労」が原因かも?メカニズムと対処法を解説”. https://alinamin.jp/tired/brain-fatigue-mechanism.html (2025-01-20)

[4] 亀山早苗. “決めるのが億劫な原因は「決断疲れ」かも?35歳、日常を“人任せ”にして決断回数を減らした結果”. All About. 2024-05-27. https://allabout.co.jp/gm/gc/504076/ (2025-01-20)


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