「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」
古い時代の台詞のないサイレント映画(無声映画)が好きで、特に短編作品を空いた時間によく観る。
サイレント映画の魅力は、シンプルな点にある。
映画は映像でストーリーを伝えることになるが、サイレント映画の場合、カメラが捉える構図、役者の動き、そして編集でストーリーを伝える必要がある。台詞は必要最小限の台詞(字幕)であり、役者の心理状況をわざわざ台詞として喋らせる説明台詞や、状況を説明するナレーションもない。
そのため、サイレント映画はごまかしがきかない。漏れもないし無駄もない。漏れがあれば当然観客にストーリーは伝わらないし、無駄があれば観る側は混乱する。それらを補正する台詞もない。
そのため、サイレント映画はシンプルなのである。
『Suspense』(1913年)
有名なサイレント映画としては『國民の創生』(1915年)や『イントレランス』(1916年)があるが、これらは長尺で観るのも疲れるので、10分ほどの短編かつサイレント映画の魅力が詰まった作品の一つに『Suspense』(1913年)がある。
監督のロイス・ウェバーは、世界初の長編映画を監督した女性監督として映画史に名を残す人でもある。
『Suspense』は、家政婦が去った後、赤ん坊と母だけになった家に浮浪者が侵入する。それに気づいた母は、夫に電話で救けを呼ぶ。夫はそれを聞き、路上の車を盗んで家へと急ぐ。しかし、警官が車泥棒として夫を追いかける。
10分の中に、このストーリーを伝えるための情報が、浮浪者、夫、妻の三者を同時に映す画面分割や、車のバックミラーで警官に追われる様子を描くといった手法を駆使し、漏れなく無駄なく詰まっている。
今は、パブリックドメインとなりyoutubeでも視聴可能となっている。
このようなサイレント映画を観ていると、自身の中で、台詞のあるトーキー映画に比べて強い緊張を感じる。台詞がないため人物の動きに注視しなければいけない。一つ一つのカットを注視しなければならない。
また、サイレント映画を観ると思い起こす言葉に、ファッションデザイナー、ココ・シャネルの言葉がある。
観る側への緊張と引き算によるシンプルさ、これをサイレント映画に感じるのである。
企画書/提案書における引き算
サイレント映画に感じる緊張と引き算は、業務における企画書もしくは提案書の場合においても同様のことがいえる。
企画書や提案書を作る際、最も意識するのはシンプルに表現することになる。
企画書や提案書は、厳密性が要求される論文や調査レポートではなく、小説やエッセイのようにレトリックを駆使する文章でもない。企画書/提案書の目的は、相手に情報を伝え、その情報で相手に行動変化を起こさせることである。「この企画(提案)で行こう!」と。
相手の行動変化を起こすためには、相手が企画書/提案書に対して注視する必要ある。相手が弛緩してダラリとしていたら、まず行動変化が起こることはない。
そのため、企画書/提案書に要求されるのは、注視と緊張を生み出すもの、つまりシンプルさということになる。
言葉は短く。図解もできるだけ要素を少なくシンプルに。グラフや表も余計な数値や要素を入れない。
特に、企画書/提案書各ページのメイン箇所に配置する言葉を作る際は、自身の場合、ココ・シャネルが言うように引き算によって作っていく。
まず伝えたいことをだらだらと書き出す。それから言葉を削る作業を行う。
例えば、以下のような伝えたいことがあるとする。
この場合、無くても趣旨が伝わる部分を削る。
まだ削れる。
企画書/提案書においては、「当社の製品が最も御社の課題解決に役立ちます。」これで十分伝わる。なぜ最も役立つのかは、シンプルな他社との比較表を加えるでもよいし、参考資料としてA社、B社との詳細な比較結果を見せるでもよい。
ページ内で最も目立つ場所に配置する言葉がダラダラしたものだと、注視してもらうことも、情報を瞬時に伝えることもできない。
「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」
他社の提案書や自社内の企画書において、取扱説明書みたいに文字がぎっしり詰まった資料を見ることがあるが、そういった資料を目にすると、読む気を起こすのが難しい。
また、自身においても、企画書や提案書の類を作る際「あれも書きたい」「これも入れておいた方がいいんじゃないか」と思う時がある。ただしそれらは、大抵は漏れや無駄に該当する情報で、勇気を持って削る必要がある。
つまり、必要なのは「あれもこれも」という思考ではなく「あれかこれか」となる。
この「あれもこれも」思考というのは、企画書や提案書を作る際に限らず、日常業務や日常生活においても多く顔を出す。「あれもこれも」が時に必要な場合もあるが、しかし、大抵はいい結果を生み出さない。
「あれもこれも」は全て中途半端になるか、全てダメになるかである。「あれかこれか」という選択と集中は、経営戦略や事業戦略に限った話ではなく、日常実務においても必要な思考と感じる。
「あれもこれも」ではなく「あれかこれか」で考える。
そうすると、サイレント映画のような漏れも無駄もないシンプルさにつながっていく。