なぜGoogleは検索結果に広告を表示しないのか?
オリバー・ストーン監督作『ウォール街』(1987年)は、ニューヨークのウォール街を舞台とした、証券マンが主人公の映画である。
主人公の証券マン・バド(チャーリー・シーン)が、投資家ゴードン(マイケル・ダグラス)にそそのかされて、出世とお金を得るため、インサイダー取引に手を染めていく姿が描かれる。
古今東西、物語において、金や出世に目がくらむ姿は愚かなこととして描かれる。そして、お金より大切なこと、例えば愛や友情、家族といったことの尊さが描かれる。
しかし、愛や友情に限らず、お金という観点においても、短期的な収益ばかりを優先することは、中長期的には収益を生み出さない。それは、Googleを例に見てもわかる。
適当な検索ワードだとGoogle検索結果に広告は表示されない
今や誰もが使っているGoogle検索で、例えば意味をなさない「あうかこそなふ」のような適当ワードで検索した場合、広告は表示されない。広告が表示されない理由は、「あうかこそなふ」に関連する広告がないからである。
ただそれだけのことなのだが、これは、Googleという会社を考えた時、重要な点になる。
Google検索は、世界中の人々が使っている。毎日、とてつもない量の検索が行われている。そして、検索結果ページの表示回数は膨大な数となる。そのため、検索結果ページは非常に魅力的な広告機会となる。
しかし、Googleは、検索結果ページに派手なバナー広告は表示しない。ポップアップ広告も表示しない。ユーザが検索した検索ワードに関連した広告のみが表示される。しかもそれらは、広告とわかるように表示される(ユーザを騙すようなことはしない)。そして、検索ワードに関連する広告がないときは、広告自体を表示しない。
これだけ大きな広告機会である。検索結果ページに派手なポップアップ広告等を出せば、より大きな収益が見込めるはずである。
しかし、Googleはそれをしない。なぜなのか。それは、Googleが社の基本理念に従っているためと考えられる。
Googleは、会社設立数カ月後に作られた会社の基本理念を、今も徹底して守っている。
Googleの基本理念から広告に関する部分を引用してみる。
ビジネスマン必読書のようになっているジム・コリンズ著『ビジョナリー・カンパニー』シリーズにおいても、継続して高い業績をあげている偉大な企業が持つ共通の法則として、基本理念を徹底しているという事が挙げられている。
基本理念とは、その企業の不変の価値観や社会における存在理由となる。Googleの場合だと、ユーザに焦点を絞り、ユーザの利便性を第一に考えることとなる。ユーザの利便性を損なうなら、収益性は優先されない。
『ビジョナリー・カンパニー』によれば、偉大な企業はこの基本理念を徹底して守っている。目先の収益より、基本理念を優先する。それが、中長期的な成功をもたらすことにつながっている。
しかし、短期的な収益は魅力的であり、目がくらみやすい。ユーザ第一、お客様第一を基本理念として謳いながら、営利主義を優先してしまう企業は多くある。それは、企業に限らず個人においても多くある。『ウォール街』の主人公バドのようにである。
安易なブログや有料記事への送客は読書離れを招く
noteにおいて、プロフィール等にブログを紹介するのでなく、記事の途中から「続きはブログへ」という形でブログへ送客したり、「なぜ有料なのか」も書かず、文章の途中から有料エリアにしている記事を時折見かける。
このように、あからさまなブログや有料記事への送客記事を見ると、残念な気持ちになる。
上述したように、基本理念を忘れ、短期的な収益を優先すると、中長期的には大きな収益を生まない。noteで言えば、読者離れにつながることが予想される。
読者もバカではない。noteで創作物を発表する、伝えたいことを書く、もしくはただ書きたいことを書く、そうではなく、noteを金儲けの手段としていることが見え見えになれば、読者は離れていくことが予想できる。
また、ブログや有料記事へ送客する記事の場合、どんな言葉がブログへ送客されやすいかだったり、どこから有料エリアにするのがコンバージョンが高いかなど、送客へのテクニックを高めることが優先的な注力事項となる。
結果、文章や作品自体のクオリティを上げることに注力されない。
そのため、文章や作品のクオリティという点でもやはり、読者離れを招く。
noteはクリエイターがブランディングする場所
以前、noteは企業にとってプロモーションに適した場と書いた。
では、noteにおいて、ブログとしての利用でなく、クリエイターとして活動する人、もしくはクリエイターを目指す人にとって、noteはどんな場といえるだろうか。
おそらく、クリエイターにとって、noteはブランディングの場といえると感じる。マーケティングの場ではない。
よく用いられる例だが、マーケティングとブランディングの違いを男女の会話に例えると、相手に「僕は魅力的です」と言うのがマーケティングになる。「あなたのことが好きです」と相手に言わせる活動がブランディングになる。「あなたのことが好きです」と言ってもらうため、自分の魅力を磨いていく。
上記リンクの記事にも書いたが、手っ取り早く収益を作るのにnoteは向いていない。収益がゼロであっても、書きたい、作りたい、伝えたい。それらを発表することで、いずれ、一人であっても二人であっても、ファンのような存在が生まれていく。
もしかしたら、「あなたの作品にお金を出したい」そういうファンが現れるかもしれない。
それはまさにブランディングの姿であり、noteはやはり、クリエイターにとって、短期的収益を目指す場所でなくブランディングの場と感じる。