何もしない方が生産性は上がる
宮崎駿監督の『魔女の宅急便』(1989年)の中で、画家の少女ウルスラが空を飛べなくなったキキに対し、自分が絵を描けなくなった時は、
という台詞がある。
これは、創作活動に対する宮崎駿監督自身の心象を反映した台詞とも思われるが、創作活動にしてもどんな仕事にしても、そればかりしていたら「したくない」と思う時は来る。
その時は、徹底してそれをしなければ、いずれ勝手に「したい」と思うものである。
昔は休まない方がかっこよかった
自分が20代の頃は、社風ということもあると思うが、休日も仕事をすることが誉められたし、かっこいいという感覚もあった。
毎日8時に出社して、終電近くまで仕事。24時過ぎから飲みに行って朝方に帰宅。シャワーを浴びてひと眠りし、また会社へ行く。そういう生活だった。残業や休日出社が悪という感覚はなく、そういうものだと思っていた。
今思うとよくそんな生活が続いていたなと思う。しかし30歳を過ぎた時、無理がたたり仕事中に突然倒れた。体が若かったからか特に後遺症もなく済んだが、二週間ほど入院した。
その時感じたのは、休むということの絶大なる効果だった。
入院で気づいたこと
倒れた当時、複数のプロジェクトを抱えて忙殺されていたが、反面「上手くいかないな」という感覚を持っていた。
それまでは、がむしゃらにやっていれば勝手に結果がついてきた。しかし、チームを持ったりプロジェクトを推進する役目になると、自分だけ頑張っていればいいという訳でもなくなる。
そして、上手くいかない場面も増え、やる気が失われていく。気がつくと惰性で仕事をするようになっていた。だからいい結果もついてこない。その結果、またやる気が失われていく。悪循環だった。
そんな時、入院によってパソコンも使えず「何もしない」環境に突如置かれることになった。
入院した時、最初二、三日は仕事のことが気になって仕方がなかった。しかし、五日を過ぎた辺りから仕事のことを考えなくなった。ベッドの上でぼーっとしていたり本を読んだり、そうしているうち、安泰と呼べるような心象を抱くようになった。
そして入院一週間後くらいから、次第に「仕事をしたい」という強い欲求を感じるようになった。それまで「上手くいかないな」という思いから失いがちだったやる気が復活し、上手くいってもいかなくても、とにかく純粋に仕事をしたくなった。
そして、入院を終えて会社に行くと、見慣れたはずのオフィスが新鮮に感じた。やる気や情熱も入院以前とは打って変わり、また仕事に打ち込めるようになった。
積極的に何もしないと生産性は上がる
今は会社も以前とは異なり、残業にも厳しいし月内労働時間にもうるさい。そして、有給や夏休み以外にリフレッシュ休暇もある。
20代の頃だったら否定的に捉えていたであろうリフレッシュ休暇に対しても、今は肯定的だし連続休暇を取得して休みを満喫している。
創作活動にしても仕事にしても何かをアウトプットする作業は、そればかりしていたら行き詰まる時がある。よいアイデアが浮かばない。よい解決法が浮かばない。よいネタが浮かばない。
そういった時は、『魔女の宅急便』のウルスラもしくは宮崎駿が言うように、何とかしようとあがくより何もしない方がよい。
しかも、意思を持って積極的に何もしない。
その方が、よいアウトプットにつながる。結果的に、生産性が上がる。だから休みは偉大だし、しかも、惰性で休むのでなく意思をもって休むことが、よいアウトプットにつながると思っている。