ルールを破ることで価値が生まれる
世の中にはルールがたくさんある。
法律というルールを破れば逮捕されるし、村の掟を破れば村八分、組織のルールを破れば空気を乱し、場合によっては処分を受ける。ルールは守るものであり、ルールを破ればおかしなことになる。
映画にも多くのルールがあり、そのルールを破るとやはりおかしなことになる。
映画におけるルールの中で、基本中の基本となるのがイマジナリーライン(想定線、180°ルールとも呼ばれる)である。
イマジナリーラインというルール
イマジナリーラインは、映画撮影におけるカメラ位置で、超えてはならない線のことを指す(実際に線が引かれるわけでなく、想定する線)。そのイマジナリーラインを超えた位置にカメラを置いて撮影すると、観客が混乱する。
それはどういうことか。「人物が扉を通って移動する2つのショット」から構成されるシーンを例に見てみる。
「人物が扉を通って移動する2つのショット」は、通常はこのようになる(赤点線は進行方向)。
最初と二つ目のショットどちらにおいても、人物は右から左へ移動しており、観客が混乱することはない。この際、カメラと被写体(人物、扉)の位置関係を上からの視点で示すと、下記のようになる。
上記における青い線、人物の進行方向に引いた線がイマジナリーラインである。ショット(1)のカメラ位置、ショット(2)のカメラ位置は両方共、イマジナリーラインより手前側にあり、イマジナリーラインを超えていない。
今度は、下記のように二つ目のショットを、イマジナリーラインを超えたところから撮るとどうなるだろうか。
この場合、以下のようになる。
最初、右から左へ移動していた人物が、ショット(2)になった途端、向きが逆になってしまう。これを連続した映像で見た場合、相当な違和感が生じる。
イマジナリーラインを無視すると、このように違和感が生じる。だから、イマジナリーラインは超えてはいけないルールとなっている。
ルールを破ることで生まれる価値
イマジナリーラインのルールは、今回の例のように被写体が移動している場合に限らない。二人の対話シーンであれば、向き合っている二人の間を結ぶ線がイマジナリーラインとなる。映画で広く普遍的に用いられている基本ルールとなる。
ただし、あくまで基本のルールである。絶対のルールではない。
イマジナリーラインを超えても違和感を生じさせない方法もあるし(1つのショットの中でカメラを動かしイマジナリーラインを超える等)、そして、意図的に観客が違和感が生じるようにイマジナリーラインを超える場合もある。つまり、意図的にルールを破ることもある。
イマジナリーラインを無視した監督として小津安二郎が有名であるし、世界的に巨匠として名高いスタンリー・キューブリックも、作中で大胆にイマジナリーラインを超えることで、観客に不安や恐怖といった心象を掻き立てる。それらは、イマジナリーラインを無視した際の効果を綿密に計算して撮られている。
法律をはじめ、絶対のルールというのはある。しかし、イマジナリーラインのようにただ守ればよいというだけでなく、ルールをしっかり理解した上で、正しくルールを破ることで、劇的な効果や新たな価値を生み出すこともある。