聴き分ける能力
落語家の桂歌丸さんは、祖父によく似ている。
勿論、両者ともに亡くなっているがそういうことではなくて。
シルエットと雰囲気が似ているのだ。子供の頃、夕飯時に「笑点」ではじめて見たときには、「あれ?おじいちゃんがテレビに映っている」そんなふうに思った記憶がある。
そんな妙な親近感があったので、本屋で「歌丸ばなし」という、歌丸さんの落語をいくつかまとめた本を買った。本の帯のところに「全身全霊」「追悼」と書かれ、その間で驚いたような顔の歌丸さんの写真をみたら、なんだか懐かしさを感じた。
その「歌丸ばなし」という本は、落語の枕の部分からすべて書いてあり、各話ごとにその話についてエピソードが添えられている。
わたしが落語が好きで、たまに聞くからかもしれなきが、読んでいるだけでしっかり頭の中で歌丸さんの声が再生されるから面白い。実に不思議で面白い。
声が聞こえると、表情もなんとなく頭に浮かぶ。
これをまとめた編集者さんの技術がすごいのもあるだろう。大きめ字で分かり易いのが、また落語のテンポとピッタリあっているのも効果的なのかもしれない。
しかし、この頭の中で声が再生される能力には名前があるのだろうか。実際に音が鳴っていないのに、確実に聞こえる。どなたでも種類は違えど備わっているものだと、勝手に思い込んでいるがどうだろう。
好きな曲の好きな箇所、アニメのキャラクターのキメ台詞に映画の吹き替え声優の声。ただ単に、興味や馴染みがあるほうが思い出に残りやすいのかとも考えたが、思い出っていうのも違う気がする。
これは、謎の能力です。
第一、知り合いの声が聞き分けられているのが、すでによくわからない。目を閉じてプロとアマが弾いた音楽は区別できなくても、なぜ友人の声が分かるのか。
「いまちょっと聴き比べてるから、もう一回その楽器弾いてみて」と言うことはあっても、「いま一生懸命あなたの声を覚えているから、もっとなんか喋って下さい」とはならない。
でも、なかには長年の間に忘れてしまって、電話口で判別できずに詐欺にあう人も沢山いるみたいだから心理的なことも大きいのだろうか。自分の中で鳴っている正解の声が思い込みに過ぎずに、いざ現実と照らし合わせたら知り合いの声すら聞き分けてなどいないのかもしれない。
そう思うと、なんだか寂しい生き物みたいなので、遠慮がちにこう言いたい。
やっぱり、なんだか似てるんだよなぁ。