第8回 ふくおか学びの会(2023/12/16)

 こんにちは。平野ゼミに所属している南野です。大変遅くなってしまいましたが、第8回ふくおか学びの会に参加させていただいたので、代表して感想を残します。 
 藤木先生がとある小学校で行った「ちいちゃんのかげおくり」のとある小学校での授業を参観させていただき、リフレクションを行いました。九州学びの会から続いて、しっかりと授業を参観するのは2度目でしたが、少しずつ授業を参観するときの授業の見方が分かってきたように思います。
 まず、「ちいちゃんのかげおくり」の著者である、あまんきみこさんとの対談が掲載されている、「あまんきみこと教科書作品を語らう」を読みました。その中で私は「事実と真実の相互のあいだには、限りない想像の世界があり、だからこそさまざまな創造の世界があるとしています。」という表記があり、印象に残りました。実際、大人になった今、教科書掲載の「ちいちゃんのかげおくり」を見てみると、驚くほどに事実しか書かれていないことに気付きました。物語というものは、主人公の気持ちが多く書かれていることが多いのです。であるのに、主人公の気持ちが書かれておらず、読み手に想像させているのだと感じました。また、「ちいちゃんのかげおくり」は時系列の事実だけが淡々と描かれており、驚かされました。藤木先生も言及されていましたが、

ちいちゃんは、ひとりぼっちになりました。
ちいちゃんは、たくさんの人たちの中で眠りました。

の二文のように、ちいちゃんが一人ぼっちになってから夜になり、眠るまでには何時間もあったかと想像されます。そして、その時間はちいちゃんにとってどうしようもなく寂しく、その辛さは想像もできないほどです。しかし、事実をたった二文で表現されているのです。読み手にすべてを任せています。そこまで理解することができて、やっと教材研究ができていると言えるのだと思いました。
 藤木先生の授業では、ここに気付かせるために、何回も音読するという場面がありました。そこで注目するのは、ある二人が声をそろえて音読をする姿でした。その二人は、いわゆる「大きく聞きやすい声」で音読をしていました。その子たちは、きっとその音読の仕方でずっと教師に褒められてきた過去があるのでしょう。しかし、文学で褒められる音読とは異なります。この時間だけではその子たちに完全にそのことを気づかせることはできませんでした。ここから、やはり学びの共同体の授業を行ううえで、関係性を作り上げ、授業を作り上げていくのは時間がかかるのだと実感させられました。
 また、授業内では、藤木スーパーバイザーが子どもと子どもとの障害になっている、辞書や筆箱を脇に置くという場面がありましたが、その些細なことが学びの場を邪魔していることにも改めて気づかされ、最近急速に普及したタブレット端末も使い方を考え直さなければならないと考えました。そして、グループの男女比についても気付かされたことがあります。それは、学びの共同体でグループ活動を行う場合、女子と女子がつながることが多いことから、女子と女子を交差にさせるとグループ活動が活発に行われやすくなるということです(一般化ができるものではありませんが)。男女比を考えて席順やグループを配置すると、学びの共同体の理想とする姿を実現しやすくなるのでしょう。

 以上が私の第8回ふくおか学びの会の感想になります。ここまで見てくださり、ありがとうございます。私自身の個人課題としては、教科を英語として高等学校での学びの共同体の実践を考えた時のジャンプ課題についてです。Authenticな学びを必要とする学びの共同体は、英語ではどのようにいかすことができるのかを具体的に模索することです。次回、書きますが、私は学びの共同体全国大会にも現地で参加させていただきましたので、その学びを繋げられるようにしたいと考えます。
 ありがとうございました。  南野


いいなと思ったら応援しよう!