「せっかくなら」と「ついでに」の効用
らふるでは、当初より店の細部、特にお客様が直に触れるものに対して意識を向けています。
モノ選びの基準は長く愛せるモノであること。「基準である」ということだけ。拘っているというのとは、少し違う感覚かもしれません。
パッと見た時の印象や、そのものにまつわる背景などから選んではみたものの、長く使えなかったり、しっくりこなかったりしたものも沢山あります。しかし、コレらのことが無意味であったり、後悔するような事柄かといえばそれは違う。
「思ったんと違った。」ただそれだけであり、そこから得る学びがあるわけです。
良いなと心動かされたことや、選び購入したこと、使ってみたことは無駄ではない。何が良く見えたのか、何がダメだったのか、次どうするか。経験データとして蓄積したのですから。
ーーーー
さて、話は本題に。お客様は美容室に来たなら、一定のお時間を過ごすわけです。カットならば1時間。カットカラーなら2時間というように。
その滞在時間は心地よい方が良いし、仕上がった髪はカッコよく可愛く綺麗で、ご自身にフィットしたものが良い。
また、お客様の髪は、ご自宅でのセルフセットが圧倒的に多いのだから、セットはしやすい方が良い。来店時に待たされることは、ないほうが良いし、施術は手際良くスムーズで、時間を奪われず済んだほうが良い。髪や地肌への負担は極力小さい方が良い。もちろん環境にもね。
この視点を拡大して考えていくと、使われるタオルは気持ちの良い方がいいし、風相変わらず長く愛用できる方がいい。作られている過程では地球に優しい方がいい。
椅子もまた然り。
座り心地は良い方がいいし、長い間愛用できる方がいい。長く使った先の経年変化もまた楽しめるものであって欲しい。
業界的にコレが普通だからとか、通例・慣例で仕方がないからそうする。ではなくて、自分がサービスを受けた時に、どう思うかという視点で、ワガママに、時にはストイックに、既成概念に捉われずにいた方が、世の価値観の変化に柔軟に対応していけるのではないかと思ったのです。
つまるところ、せっかくならこの方が良いなという気持ちを大切に、出来ない理由を並べて受け入れるだけではなくて、改善の余地しかねぇと、様々着手している積み上げが、今のらふるを創って来たと思っています。
世の中の「普通」や「常識」は固定されたものではなく、常に揺らいでいるもの。
少しのきっかけで大きく事柄が変化することや、見方を変えるだけでより良くなる事は多分にあると思うわけ。ただ、独りよがりでは普通にはならんのです。
些細な違和感が解消され、人々がそのことを認知して、周知されれば、どんどん伝播していき、やがて新たな「普通」になって行きます。
だから「普通」という概念は、あくまで概念でしかなく、実態があるようでない、空気のようなもの。
これまで気にもせず、当たり前だとしていたことも、時代が動いている以上、いつか必ず違和感は生まれてきます。長い間、多くの人に愛される美容室となるためには、その違和感に対して敏感に、どんどん解消していく必要があるのではないかと僕は思います。
私たちは、こうした「せっかくなら」の想いに注視してモノを選んできました。
違和感をスムーズに解消していく出発点が「せっかくなら」なのだと思うんです。
そこから、いち美容師としての姿勢を、働き手としての姿勢を、経営者としての姿勢を視ることで、自分自身のオリジナル性を創造しているのだと感じています。
また、らふるをオープンしてからというものこれまでずっと「チームらふる」としてどうありたいか、どうあるべきか、どうあったら良いかに多くの思考を巡らせています。
その中で、他者へ贈る「ついでに」の行動の連鎖が組織を円滑にさせるのではないかと思うようになりました。
美容師は、お客様に担当スタイリストがいますね。アシスタントがいるサロンならば2人3人でお客様を共有しますが、アシスタントがいないサロンの場合、マンツーマンです。自分の客は自分の客。人の客は人の客。と分けて捉えてしまいがちです。
「役職なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。」
というのは本田宗一郎氏の言葉ですが、社長だから偉い、店長だから偉い。偉いからふんぞり返っていれば良く、雑務はやらなくて良い。というものではない。
そうかと言って忙しぶって、余裕ないですと振る舞うのも違います。
美容室においては、床が切った髪で汚れていれば手が空いている者が綺麗にすれば良いし、せっかく動いたのだから「ついでに」何かできることを探す。これらの循環を意識することで円滑になっていくと思います。
前提として、自分の手を空ける努力をする事が、何より大切です。この意識がないと始まらない。
この意識を持たず、誰かが何とかしてくれるという考えでいては、しまいには誰も動かなくなってしまいます。なんとかしてくれる人が、消費され、消耗し、疲弊して、誰かなんとかしてくれってなりますからね。
僕の中では、ぜーんぶ一本の線で結ばれていることが見えているのだけれど、うちのスタッフにしっかりと伝わっているだろうか。
まずは自分から再度意識し直してやっていこうと思います。