書くことで感じること

書くことは自分を知ることと言われます。 没頭する、そんな時間もたまにはいいかも。

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最近の記事

3月2日

詠花吟月 ある写真家の方が 病の床にてこの言葉を口にした。 私も好きで書き残していた禅語。 肉筆は上手く作品にできなかったけれど こうして画像で残せる現代の便利さたるや。 “ただ自然のままに感じたままに詩を読む” それまでも、彼は撮らずにはいられないシーンを 想いのままに撮っていたのだろうけれど それが出来にくくなってしまった状況にて 俗世から離れた世界の中にいるかのように 素にふれるような 写真を残した最後。 生きるシーン毎に みるもの 感じる

    • 12月のこと

      10月、11月を どこにおいてきてしまったのだろう。 少しだけ先を見通さなければ 予定をこなしきれない 程度の予定を 割とそつなくこなしてきたら それは私にとっては 結構な頑張りの時期だったのかもしれない。 考えて見れば 以前の私ではやりきれなかった 到底出来るわけもなかった そんなこんなをやってのけたのだ。 そう言うと、スゴイことを頑張ったように 聞こえるが、おそらく日常仕事を毎日している人からすればこれっぽっちな量かもしれないが。 兎にも角にも 今年、と

      • 書いて緩める

        【書いてゆるめる】 書いていると 気分が 集中によって日常から非日常へ、 どんどんリラックスしていくことは 感じていました。 現に、それで私は 救われてきました。 書くことがずっと 私の“生きる”に 寄り添って支えてくれたことで 長く辛い時期を乗り越えて 今の私があって 線は私の人生と共にあるのです。 だから、書くこと、どんな線であっても 上手いも下手も言いたくないのです。 (技術が巧みかどうかの善し悪しはありますね。) 腰が痛い、肩が痛い

        • ❥文字を苦手におもう人へ

          書き方を知らずに 「書けない」って口癖のように 言っていませんか? . . . . . . わたしは、 いろんな道すじがあって すべてそれで良いよ すべてにおいて そう言ってあげたいだけなのです。 単なる「あ」だって 人の数だけ色々個性豊かないろんな 「あ」があるはず いろんな「あ」を集めたら絵的にみえて きっと楽しい〜 かわいい〜おもしろい、に違いない (と思うの私だけ?) じゃあ〜ひとり何種類の「あ」が書けるだろう きっといっぱ

          9月のこと

          ここ数日は急に涼しくなり ぬくぬくお布団 が、気持ちよくなる季節の気配を 肌で感じています。 台風も過ぎ去り ほっとするも束の間 季節が目まぐるしく変わっていくので おだやかな四季を愉しむ余裕が すっかり遠のきがちな昨今です。 となると、、あえて季節感のあることをする心がけがますます必要に感じています。 過ぎるのがはやいのは わたしがのんびり、ぼーっとしすぎな せいかもしれませんが、笑 8月まで半年の学びが終わり 10月から新たな学びがはじまります。 少し停滞

          8月になりました

          人人悉道器 刻字で作った作品、“道器” 〜2018.8 “人は誰でもその道を歩むだけの器を持っている” だから思うままに歩むといいよ 頑張ってみるといいよ、 というように感じた言葉です。 文字を書くことは 人生の歩み 書き出す文字は その時時をうつしだす写真のようです。 今をしっかり見て、 ほんの少しだけ背伸びしてみたら それだけの自分にもなれる気がして、 自分を“みがく” そんな日々をひたすらにつないでいます。 ふりかえりも、その時をなつかし

          7月のこと

          . しき嶋の やまとごゝろを 人とはゞ 朝日にゝほふ 山ざくら花 . と、書き入れようかな、 おくりものに。 . . 世界と交わってくるごとに 日本人の容姿も 変化(進化なのかな、)して 見た目だけでは“日本人”とわからなくなる 時代もそう遠くないそうです。 それをわかりつつも 種を守ろうとする= 他を排除する その思考もDNAがさせるものと聞いて あーそうか、 と素直に思ったのでした。 考えてみれば単純なことでしたね。 . 見た目で残らない

          5月のこと

          ここに来るべくして… というタイミングが訪れることがある。 まさに、それが起きた5月。 言葉に、情景を感じ 先人のメッセージを受け取る時間 あまりの感動に 不意打ちにあったかのように涙する 出会いのとき 線がほのかに耀いていたようにみえた 今は見えないものが たしかに見えたような気がした 静かに暖かく 蠢く空間 私は、こんな表現が好きなのだ そう深く感じることができたことは 一生忘れることのない 静かに震えた あの部屋の掛軸を見たときの感動に 親しいものが

          4月のこと

          桜めぐり 今週は移動の傍ら、桜をいっぱい目にしました。 数日のうちに、あっ!という間に満開になりました。 ふわふわ咲いて まるで牡丹雪のよう 現実を忘れるかのような光景でした。 今日は肌寒い小雨 今年の桜ももう終わりです。 そう、桜に誘われて ふらり出かけてふと立ち寄ったリサイクル店。 お着物や和装小物が、溢れるようにぎゅっと並んでいました。 お着物を来て楽しむような街歩きなどの イベントもなくなっていたためか、 断捨離がすすんだ方が多かったのか、 かく言

          感性

          また一つ 新たな感性、個性と出会って 今までにない刺激をもらっています。 エネルギッシュな人が苦手 そうは言っても、私には 彼女の行動力が とてもエネルギッシュに 魅力的に映るのです。 小気味良い話も 面白く、楽しいし 噴き出すこともしょっちゅう。 様々な捉え方もつぶやきが名言ぽく決まる そんな言葉も 私には新鮮。 今までに感じていなかった 新鮮さ 出会いの中 まだまだ新鮮な気持ちに なれて嬉しいこと あるのですね。 人が好き、という人は そんな楽しみや興味が

          「庭」という字

          . “庭” が、好きなのです。 心の庭 心に大好きな庭があって 大好きな花や木があって 思い更ければ、 いつでもやさしい 気持ちになれる場所、 自分に還れる場所 そこには 行かなくても 行けなくても 心にあるのです。 また、庭は自然と触れ合える 癒し処でもありますが、 完全な人工物でもある。 それがすごい。 日本人って、 盆栽の世界にしても 庭にしても、人工的に自然の雄大さを 創造することに長けていて、素晴らしい 感性だな〜と思っています。 そして細部に宇宙までみて

          練習というカタチ

          現実 急には上達しないのです。 #フレンチ草書®︎ 自分自身の面倒みながら 育てていくのみ。 幸い、出来ないことに 焦るタイプではないので この性格に感謝🙏🏻 出来ないことは じっくり、 もしくは コツコツ、 ふわっと、 ぽつりぽつり、 “やり続けていたら いつの間にか出来るようになっていた” 私の “書くことの教室”にもつながる モットーです🌱✨ 基本は 書くことを 楽しむのだから 苦しくつらくもなる必要は ないのです😊 書くことを極めることは ものすごく深

          人を殺さざるべし

          . 昨年、春 2022.2月の作品展開催が決まり 作品を作ることになりました 真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 村を破らず 人を殺さざるべし 人々のために公害問題等に立ち向かった 田中正造氏の言葉です。 コロナ禍では、対ウイルスですが 人の在り方を思ったときに、 すべてを人間が勝つために...というような人間のエゴのような空気感をどうしても私が 感じてしまったがために、本当の問題はどこにあるのだろう、もっともっと人の根源、根本的なところに問題は潜んでいないだろう

          二刀流

          「書とカリグラフィー、両方やるのね! 書ける限りずっとやっていたほうがいいわよ。」 とある日、その方は ご自身の書かれた葉書を 色々出してきて見せてくださって そうおっしゃったのです。 ふだんはお話したことなかったのですが カードの文字や絵を介して どこか通じあえた気がして 素敵だな〜と思うその方に いつも緊張気味な私は、 とても嬉しかったということがありました。 私の拙いカリグラフィーに 和文字を添えて。 勇気を出してお渡ししたカード。 お渡しして良かった! 「ア

          お名前

          . 時代をこえて 過去から続く命の先の 今のご自身のお名前 “お名前レッスン”していると 自身のお名前、 好きではないという人が とても多いことに驚きます。 皆さん口々に “書きにくい” “バランスとりにくい” とおっしゃるんですよね。 それが、ちょっとコツを知ったら書きやすくなる。 そうしたら、自分のお名前に対して感じ方が皆さん変わるんですよね。 作り上げた呪縛から 解き放たれるかのような 軽やかさも感じることがあります。 むずかしい、と思い込んで深刻な方ほど

          なぜ?

          . 庭 という字が好きなのです なぜかはわからないのです なぜ?という問いが とても苦手なので 感覚で思うばかりで そこをとことん追求することはふだんなく たしかにあるという その感情 ある、という事実があるから それで善し という考えから 全肯定型の 楽観的すぎる性格に いつからか そうなっていそうな私なのだけれど 感情がたしかにあるのだから なんらかの理由も 突き詰めれば考えられるはず なぜ? という そこを追求する必要性がないと 追求しなさすぎて た