自分だけのモノを手放したときの感情
それなりに、影響力のある、名の知られている、いわゆる有名人という括りにされる人間の方々にも、自分だけのお気に入りのモノって存在すると思う。
同時に、そのお気に入りのモノたちをいとも簡単に、かどうかは、側からそう見えるだけで苦悩はあるかもしれない。けれど、情報を受け取る側としてはその人間の優しい気持ちに触れながら、その人間のお気に入りの店や本、音楽などを知る。
POPEYEが好きだ。毎月買ってるとかではないけれど、結構好き。それは、有名人と言われる人間たちのきっといろんな感情によって大事にしてきたお気に入りのモノたちが見られるからだ。
私は有名人ではないから、この人こういうの好きなんだ、私も今度行ってみよう、とか、読んでみようとか、影響を受ける。
で、私みたいな人間も沢山いると思う。
そうなったとき。
有名人と括られる人間たちがそれぞれ大切に抱えていた個人のお気に入りのモノは手放されてしまう。お気に入りという感覚は同じだけど、もしかしたら、以前と同じようにプライベートでその店に足を運びにくくなるかもしれない。
きっと、何個もあるお気に入りのひとつに過ぎないのに、その本の話だけを話題に振られるかもしれない。
そういう、手放したときの感情って絶対私には分からない。手放したという感覚になるのかも分からない。
ちょっとずれる話だけど。最近、それなりに有名な人間がプロデュースしたのか分からないけれど、そこそこ行列になっているオープン店を見かけた。
自分だけの、って、抱えたくなる感情を抱いている時点で私は傲慢だなあと思うけれど、そういう、個人のお気に入りのモノが、ファン達の中の共通認識のお気に入りのモノになるってどういう気持ちなのかな〜と思ったりした。