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感性に就いて-Jazzとルソーと緑の猫-

音楽は、絵や記憶や匂い、あらゆるものと結びつく。

そしてそれが、その人の感性になる。


Jazzとルソーと緑の猫は、全部違うところから現れて、

でもあるとき一直線になった。


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今年みたいなうだるよな暑さの、湿気の多い日々のためには、

低音の効いたジャズが似合うと信じている。


それでひっぱり出したのが、日本が世界に誇るピアニスト

小曽根真さんと塩谷哲さんの「デュエット

この中で塩谷さんが弾く一曲は、わたしの想像力を、とてもとても掻き立てる。


それには「PASSAGE」というタイトルがつけられている。


力強いピアノが歩いていく。濃い緑の森の中を。

そんなイメージが、最初に聞いたときに浮かんだ。


その音に連れられて歩いていると、こんな台詞が頭をよぎる。

「私は緑の猫になりたいな。生まれかわったら」


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紫の目をした緑の猫、とその子は言ったはずだ。そう、確か江國香織さんの本に出てくる一節。


この物語は秋から冬にかけての話だから、夏に聴く曲でこれを思い出すのは、変だと言えば変なのだけど、

でも紫の目をした緑の猫は、物語を超えて、突然ジャングルの中に現れてた。


映像がわたしの頭の中で、テレビで放送される人形劇みたいに進む。

黒い背景に、つやつやした濃い緑の葉っぱ。

塩谷さんのどこまでも綺麗な低音が、そこを猫の足どりでゆく。

湿度で息もできないような世界で、濃密な生命が育っている。


毎年夏が来るたびに、わたしはこの曲を思い出し、

緑の猫を思い出し、むっとする草の匂いに思いを馳せる。



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そしてまた、ここに新しいイメージが加わった。

アンリ・ルソー。ジャングルに焦がれた画家。


今年、彼の絵をじっくりと見る機会に恵まれたのだけれど、

見れば見るほど、それはわたしにこの曲を思い出させる。


何色も塗り替えられた草木の色に、静物のような動物がいて、

どれもこれも大きく育ちすぎみたいに、こちらを覗き込んでくる。

可愛らしくも恐ろしい、ルソーの絵たちが曲と一緒に動き出す。


ここまでくるともはや混乱だ。

Jazzはルソーであり、ルソーは緑の猫であり、緑の猫はJazzである。

記憶が記憶を呼び起こし、変なところで一直線になり、

わたしだけのイメージになり、それを伝えたいと思っている。のだ。



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音楽は、絵や記憶や匂い、あらゆるものと結びつく。

それがどんなに混乱をきたしていても、それがどんなに奇妙な結びつきだったとしても、

その人の中にしかない、それは、とても素敵なモザイク模様だと思う。


思い思いの方向に伸びたつながりは、いつしか唯一の”感性”となり、

誰にも真似できないものになるって、

わたしはそう、信じているから。


だからどうか、どうか、

自分の中にできあがった、このつぎはぎを大切に。




















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