感性に就いて-Jazzとルソーと緑の猫-
音楽は、絵や記憶や匂い、あらゆるものと結びつく。
そしてそれが、その人の感性になる。
Jazzとルソーと緑の猫は、全部違うところから現れて、
でもあるとき一直線になった。
**
今年みたいなうだるよな暑さの、湿気の多い日々のためには、
低音の効いたジャズが似合うと信じている。
それでひっぱり出したのが、日本が世界に誇るピアニスト
小曽根真さんと塩谷哲さんの「デュエット」
この中で塩谷さんが弾く一曲は、わたしの想像力を、とてもとても掻き立てる。
それには「PASSAGE」というタイトルがつけられている。
力強いピアノが歩いていく。濃い緑の森の中を。
そんなイメージが、最初に聞いたときに浮かんだ。
その音に連れられて歩いていると、こんな台詞が頭をよぎる。
「私は緑の猫になりたいな。生まれかわったら」
**
紫の目をした緑の猫、とその子は言ったはずだ。そう、確か江國香織さんの本に出てくる一節。
この物語は秋から冬にかけての話だから、夏に聴く曲でこれを思い出すのは、変だと言えば変なのだけど、
でも紫の目をした緑の猫は、物語を超えて、突然ジャングルの中に現れてた。
映像がわたしの頭の中で、テレビで放送される人形劇みたいに進む。
黒い背景に、つやつやした濃い緑の葉っぱ。
塩谷さんのどこまでも綺麗な低音が、そこを猫の足どりでゆく。
湿度で息もできないような世界で、濃密な生命が育っている。
毎年夏が来るたびに、わたしはこの曲を思い出し、
緑の猫を思い出し、むっとする草の匂いに思いを馳せる。
**
そしてまた、ここに新しいイメージが加わった。
アンリ・ルソー。ジャングルに焦がれた画家。
今年、彼の絵をじっくりと見る機会に恵まれたのだけれど、
見れば見るほど、それはわたしにこの曲を思い出させる。
何色も塗り替えられた草木の色に、静物のような動物がいて、
どれもこれも大きく育ちすぎみたいに、こちらを覗き込んでくる。
可愛らしくも恐ろしい、ルソーの絵たちが曲と一緒に動き出す。
ここまでくるともはや混乱だ。
Jazzはルソーであり、ルソーは緑の猫であり、緑の猫はJazzである。
記憶が記憶を呼び起こし、変なところで一直線になり、
わたしだけのイメージになり、それを伝えたいと思っている。のだ。
**
音楽は、絵や記憶や匂い、あらゆるものと結びつく。
それがどんなに混乱をきたしていても、それがどんなに奇妙な結びつきだったとしても、
その人の中にしかない、それは、とても素敵なモザイク模様だと思う。
思い思いの方向に伸びたつながりは、いつしか唯一の”感性”となり、
誰にも真似できないものになるって、
わたしはそう、信じているから。
だからどうか、どうか、
自分の中にできあがった、このつぎはぎを大切に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?