レミオロメン『流星』歌詞考察#2 隠れている主語と2つの時間軸
疑問点の整理
まずは一度『流星』を聴いて、曲のイメージや物語を想像してほしい。できれば簡単なメモをとっておくと、この記事を読む前後で印象の変化を実感できて面白いかもしれない。
以下では、考察を始めるにあたって筆者の疑問点を整理した。
(1)A・B・Cメロ歌詞
・・・「流星」と「シャトル」の対比
①なぜ母親は少年の問いに「飛行機よ」と答えたのか?
②「流星」と「シャトル」は何を指すのか?
③「永遠が蹴飛ばした星」とは何か? 「まだ誰のものでもない」とはどういった状態を指すのか?
(2)サビ歌詞
・・・「夢を見てた人」と「笑顔を願う人」の存在
①「もう二度と逢えないもの」とは何を指すのか? 「Tシャツで走った夢」とは何を指すのか?
②誰が誰に「笑って」と願っているのか? なぜ「笑っていて」ほしいのか?
(3)総合的な解釈
・・・レミオロメンの『流星』とは、どのような歌なのか?
これらについて、最終回までに答えを出していきたい。
流星・シャトルを見ていたのは誰?
考察の前提として、まずは歌詞の主語を考えたい。
『流星』には「少年」と「ママ」の二人が登場するが、歌詞の多くは主語がはっきりしない。以下「息子」と「母親」とする。
まずは、A・Bメロ歌詞に描かれている「流星を見ていた人」と「シャトルを見ていた人」について考えたい。
流星を見ていたのは?
1番A・Bメロ歌詞には会話のシーンがあり、主語が分かりやすい。流星を見ていた人は「少年」つまり息子である。
シャトルを見ていたのは?
2番A・Bメロ歌詞からは、シャトルを見ていた人の判別がつかない。息子とも母親とも取れそうだ。
忘れてしまったタイミング
ここで重要なのは、シャトルを見ていた人が、シャトルに強く惹かれた動機を「忘れてしまった」タイミングである。
Bメロ歌詞「忘れてしまった」と類義の歌詞が大サビに見られる。
シャトルを見ていた人は、シャトルの記憶を完全になくしたわけではなく、惹かれた理由を「忘れてしまった」ので、上記の大サビ歌詞「記憶は色褪せて」という言い回しは、Bメロ歌詞「忘れてしまった」の換言だといえる。
シャトルを見ていた人は、シャトルに惹かれた理由を「忘れてしまった」=「記憶は色褪せ」たタイミングで「そっと大人になる」のである。
2つの時間軸が存在
上記の「忘れてしまった」=「記憶は色褪せて」「そっと大人になる」という構図は、シャトルを見ていた人だけでなく、流星を見ていた息子にも当てはまる。
この「忘却」という事実から、『流星』には2つの時間軸が存在していることが分かる。
ひとつは少年が流星に惹かれた過去の時間軸である。もうひとつは息子が少年だった頃の記憶の一部を「大人になる」タイミングで「忘れてしまった」=「記憶は色褪せ」た現在の時間軸である。
『流星』が発表された2006年を現在の時間軸に当てはめると、息子が少年だったころの過去の時間軸は、約20年前と仮定して1980年代になる。
シャトルの記憶
「シャトル(スペースシャトル)」はNASAが1981年から2011年にかけて打ち上げた有人宇宙船であるから、2番Aメロ歌詞は1981年から2011年の出来事である。
シャトル(1981-2011)の記憶が一部「色褪せて」「忘れてしまった」人は「そっと大人になる」のであるから、シャトルを見ていた人は、現在の時間軸(2006年)でも過去の時間軸(1980年代)でも、すでに大人である母親ではありえない。
以上からブラウン管でシャトルを見ていた人は、流星を見ていた人と同様、過去の時間軸における息子であることが分かる。
#2まとめ
ちなみに『流星』を作詞した藤巻亮太氏の生年月日は1980年1月12日である。
また、現在の時間軸(2006年)で、少年のころ流星・シャトルに惹かれた記憶は「色褪せ」ながらも「そっと大人になる」息子が「頼りにして」いる記憶である(大サビ)という点は、今後の考察で重要な意味をもつ。
次回は考察の前提として、サビ歌詞の主語について考えていきたい。
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