レミオロメン『流星』歌詞考察#5 『流星』における「永遠」とは?
「永遠」が蹴飛ばした星
『流星』の2番Aメロに「永遠が蹴飛ばした星はまだ誰のものでもない」というフレーズが出てくる。
今回は「永遠が蹴飛ばした星」の「永遠」とは何を指すのかについて考えたい。
前述したとおり、流星とシャトルには以下のようなちがいが見られた。
対照的なシャトルと流星のうち、「永遠」に近いモチーフとして描かれているのは「シャトル」である。
「シャトル」の打ち上げに際して「永遠が蹴飛ばした星」というフレーズが用いられたことに注目すると、「永遠=シャトル」が打ちあがって地球を「蹴飛ばした」様子が想像できる。
しかし「シャトル=永遠」「永遠が蹴飛ばした星=地球」だけでは「永遠が蹴飛ばした星」が「まだ誰のものでもない」という状態を説明できない。
そこで、藤巻亮太氏が「シャトル」を「永遠」と換言した意味をさぐっていきたい。
『流星』と『永遠と一瞬』のつながり
抽象的なキーワードを考える際のテクニックとして、同じ作者による、ほかの作品からヒントを得る手法がある。
2006年前後の藤巻氏が「永遠」をモチーフにしている楽曲を探すと、レミオロメン2ndアルバム『ether(エーテル、2005年)』に収録されている『永遠と一瞬』が思い当たる。
『永遠と一瞬』には「永遠」のほか、「一瞬」「流れ星」「夢」という『流星』の歌詞に類似するキーワードが散見されるため、『流星』における「永遠」の意味を探るうえで参考になるだろう。
藤巻亮太氏の語る『永遠と一瞬』
藤巻氏は2019年4月11日に掲載された音楽ナタリーのインタビューで『永遠と一瞬』について以下のように語っている。
『永遠と一瞬』を一言で表せば、デビューできた「安堵」と、がんばっていかなくちゃいけない「焦り」である。
「永遠」とは何か
『永遠と一瞬』の「永遠」と「一瞬」
インタビューを記事を読んだうえで『永遠と一瞬』を聴けば、歌詞の節々から「雄飛のときを待ち、理想と現実の落差にもがきつづける夢追い人の苦悩」が感じ取れる。
『流星』における「永遠」の意味を考えるために『永遠と一瞬』のBメロ歌詞に注目したい。
同曲では1番Bメロ、2番Bメロに共通して「永遠の彼方/一瞬の隙間」から、こぼれ「落ちて」「流れ星」にしがみ「ついた」夢を見ている。
『永遠と一瞬』とは、デビュー時に感じた「安堵」と「焦り」である。
「安堵」したのは音楽業界で戦っていくスタートラインに立てたから。
そして、「焦り」は「がんばっていかなくちゃ」音楽業界では食べていけないから。
藤巻氏の「安堵」と「焦り」の裏側には、デビューはできて、ひとまずは安心だが、浮き沈みの激しい音楽業界で本当にやっていけるだろうかという葛藤があったのだろう。
常に第一線で活躍しつづけ、その音楽は映像となり、音源となって多くの人々に注目され、名声が「永遠」に刻まれるミュージシャン。
その一方で、刹那的な話題にとどまって消えてしまう「一瞬」のミュージシャン。
最悪なのは、どちらにもなれずに「永遠と一瞬」から「こぼれ落ちて」しまった場合である。
そうなればあとは「流れ星にすがりつ」いて願うしかない。
『永遠と一瞬』における「永遠」と「一瞬」とは、「成功の尺度」だと言える。
そして『永遠と一瞬』における「流星」は、デビュー直後のミュージシャンの「成功したい」という「切実な願い」をあらわしていた。
『流星』の「永遠」と「一瞬」
『流星』における「永遠」はシャトルであった。また、明言は避けられているものの、歌詞の表現から判断して「流星」を「一瞬」としていいだろう。
そして両者は、少年時代の息子が湧きあがる好奇心を抱いた対象である。
少年の興味が、流星とシャトルの両方に向けられたのは「活動期間、成功の尺度、世間的な注目度」とは関係なく、素直に少年が惹かれたからである。
「流星」と「シャトル」とはあくまで比喩表現であると言っていい。
たとえばそれらは、昼下がりの路上で歌う無名のミュージシャンと、TVで放映される有名なミュージシャンであったかもしれない。
あなたがどんな少年時代を過ごしたかによって「流星」と「シャトル」は千変万化して何ら不思議ではない。
#5まとめ
次回は「永遠が蹴飛ばした星」が「まだ誰のものでもない」状態とはどのようなものか。
そして「Tシャツで走った夢」とはどのような夢なのかを考えたい。
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