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レミオロメン『流星』歌詞考察#7  そっと大人になる

答え合わせ

 『流星』歌詞考察の最終回である。
 これまでの考察を簡単に整理したのち、曲名に隠された意味と、筆者が考える『流星』の総合的な解釈を示したい。
 まずは、本連載#2で提示した疑問点に対する考察を整理してみよう。

 (1)A・B・Cメロ歌詞

・・・「流星」と「シャトル」の対比

①なぜ母親は少年の問いに「飛行機よ」と答えたのか?

・シャトル = 有名
・流星 = 無名
→シャトルと比較したとき、流星の世間的注目度の低さを表現するため

②「流星」と「シャトル」は何を指すのか?

・流星 = 無名 一瞬 刹那的
・シャトル = 有名 永遠 恒久的
→少年時代に惹かれ、大人になり興味を忘れたもの

③「永遠が蹴飛ばした星」とは何か? 「まだ誰のものでもない」とはどういった状態を指すのか?

・「永遠が蹴飛ばした星」=「地球」=夢がかなうための環境
・夢がかなう環境が「まだ誰のものでもない」
=夢は叶うと信じている
=将来的に夢を諦める予兆

 (2)サビ歌詞

・・・「夢を見てた人」と「笑顔を願う人」の存在

①「もう二度と逢えないもの」とは何を指すのか? 「Tシャツで走った夢」とは何を指すのか?

・もう二度と逢えないもの
=忘れてしまった「説明がほしかった(いつまでも見たかった)」という気持ち
=夢みる心

・「Tシャツで走った夢」
=成功が保障されていない業界で夢を追っていた

②誰が誰に「笑って」と願っているのか? なぜ「笑っていて」ほしいのか?

・母親が息子に「笑って」いてほしい
→夢を諦めた息子が笑顔ではないから

総合的な解釈

・・・レミオロメンの『流星』とは、どのような歌なのか?

 筆者の最終的な解釈として『流星』を一言で述べたい。

 『流星』とは夢追い人の諦めと母の愛を描いた、虚構のなかの現実である。

 曲名が『流星』である意味

 曲名が『シャトル』ではなく、『流星』であることにも意味がある。
 「流星」とは「切実な願い」をあらわした。
 曲中において、それは「息子が夢を叶えようとした思い」や「母親から夢敗れた息子への祈り」としてあらわれる。

 また、「流星」は落ちてゆき、消えゆく。「シャトル」は打ちあがって、永遠となる。
 息子は夢を諦めたため、息子が夢に向かって続けた活動は、成功の尺度でいえば、誰にも気づかれない「一瞬」の「流星」だった。

流星 = 息子の夢 母の祈り

 忘れられた流星

 少年が見た流星しかり、流星として自分の夢にピリオドを打った息子しかり、流星とは「忘れ去られるもの」である。

 そして母親の願いは「笑っていて」である。
 これは「実家に同居する」息子というよりは、「遠く離れて暮らす」息子に向けている距離感を感じさせる。
 実家に同居しているのであれば、そう何度も切実に願う必要もなく、具体的な気分転換を提案することができるはずだ。

 ここで一つの仮想が浮かぶ。
 息子は「遠く離れて暮らす」母親のことが念頭にないのではないか。
 会いに行くのを迷うような遠い土地で働き出すと、実家と疎遠になってしまうは自然なことである。

 それに加えて、息子は夢敗れて間もない。地理的な距離の大きさが、夢を叶えられなかった引け目が、膨大な業務に忙殺される日々が、無意識のうちに息子のなかから母親を消しているのかもしれない。

 ひるがえって私たちは「母親」を忘れてしまっていないか。「母親」の願いを「流星」のままで終わらせていいのか。

 夢を諦めて息子は流星になった。

 しかし、彼が母親の願いに応え、笑っていられるのであれば、母親と、その願いだけは、もはや「流星」ではない。

 しかし残念ながら、曲中で息子はいまだ笑顔になれない。

 これも、曲名が『流星』たるゆえんの一つである。

 レミオロメン『流星』の素晴らしさ

 叶わなかった夢をテーマとした楽曲は数多く存在する。
 力強く勇気づけてくれる楽曲も、優しく背中を押して次の一歩を促す楽曲も、明るく吹っ切れた楽しさをくれる楽曲も、筆者は好きである。
 
 しかし、それらはレミオロメン『流星』との決定的なちがいがある。それは「救済の技法」である。

 一般的に「夢追い人の敗北」をテーマとした歌においては、救済は自分自身、そして未来にある。

 しかしレミオロメンの『流星』においては、救済は他者と過去にある。

 もっと端的に言えば、『流星』はどこまでも飾らない現実なのである。

 夢を叶えた者が、夢の叶わなかった者の歌をうたう。
 「果たして夢を叶えた人たちは、夢が叶わなかった人たちの気持ちが分かるのか」

 このような線引きをするとき、発言者は夢を叶えた人たちの経験した、想像もつかないような苦労と努力を無視している側面がないではない。

 それでも「勝者の理論だな」と苦笑いしてしまう、夢を諦めた人のことを責めることはできない。

 「夢は叶う」 ちがう。
 「夢は叶わない」 これもちがう。

 現実はもっと複雑なのだ。

 筆者はレミオロメンの『流星』が好きだ。

結論


 少年は昼下がりの町に消える流星を見た。しかし流星は一瞬で消えた。もっと説明がほしかった。
 少年は快晴に打ち上がるシャトルを見た。皆がシャトルに釘付けだった。いつまでも見ていたかった。
 少年は流星に、シャトルに湧きあがる興味を覚えた。心の底から憧れた。

 そしていつしか、憧れは夢になった。途方もない努力が必要なのは分かっていたが、それでも手を伸ばせば届く気がした。
 特別な何者かになれるはずだと、自分にも可能性はあると、必死にあがいて、もがいて、打ち込んだ。周囲の知人が職業服を身にまとい、働くようになっても、彼はTシャツで走った。

 しかし時間は容赦なく過ぎてゆく。彼は重くのしかかる現実に押しつぶされ、理想を諦める。彼の夢は永遠となることはなく、一瞬の流星として消えた。

 彼は仕事を始めた。目指していた職種ではないが、仕方がない。どうしてあんなにも流星に心を惹かれたのか。なぜシャトルを見ていたかったのか。
 彼は忘れてしまった。

 夢の原動力には、もう二度と逢えない。

 大人になるとは、夢を諦めることだ。大人は夢を見ない。多くの人にとってこれは真実で、望むものすべてを手にできる人間はいない。何かを諦めたり、現実に妥協したり、どこかで線引きして割り切らなければ生きていけない。
 今の彼の生活に、夢を追いかけていた頃の面影はなく、彼の表情はどこか浮かない。



 息子の日常に、母は願う。

 そんな暗い顔しないで。夢を叶えるだけが人生じゃないよ。

 でも、頑張ったね。

 昔あなたが抱いた憧れも、夢に向かって積み重ねた努力も、全部ひっくるめて、今のあなたなんだから。

 たとえ色褪せても、その思い出は頼りにしていい。

 誇っていい。

 そうして、そっと大人になるの。

 だからいつも、笑って。

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