今日の読書『ボドイ:哀しき兵士』
ヘッダーはベトナム・ニンビンにある東アジア最大の仏教寺院・バイディン寺。ビエンチャン在住の友人が以前旅行で足を運んでいたが、とてもいいところだと聞いた。
ハノイからなかなか距離があるが、仏教好きとしては絶対に一度は行ってみたい。
「ボドイ」(bộ đội)とはベトナム語で兵士を意味する語だ。
しかし、日本で「ボドイ」と呼ばれる存在は基本的に軍属の人間のことではない。
かれらは技能実習制度などを利用して来日したものの、なんらかの理由で犯罪行為に手を染めるようになったベトナム人であり、実態としては「半グレ」に近い。
何がかれらを犯罪に走らせるのか、何がボドイを生むのか。
奴隷労働同然で適切な賃金が支払われない技能実習制度とそれを容認する日本の現状を描く小説。
語学留学に来たタインと、看護師になるため日本の病院で働くマイという二人の視点で物語は進む。序盤の主人公であるタインは困窮するあまり万引きを入り口にさまざまな犯罪に手を出してしまうが、そもそも留学生はアルバイトなどの時間に制限がかかっていることがその理由だ。
そもそも、彼らは留学するために本国でブローカーに対して多額の現金を用意する必要がある。日本に来られたからと言って、借金まみれのタインたちの未来は明るくはない。
そして二人目の主人公のマイは看護師見習いとして病院で働いているが、ホストクラブに入り浸ることで次第に金遣いが荒くなっていく。国家試験に合格できなかったマイは「風俗堕ち」した末に客に覚せい剤を売るようになる。
こうした犯罪は日本人も巻き込まれうることだが、タインやマイのような意図せず不法滞在者になってしまっているかれらには、被害者としても加害者としても法の庇護が得られない。
かりに個人個人が逮捕され、なんらかの刑罰が下されたとしても、根本的な問題は解決しない。
日本への実習生・留学生・移民を犯罪の道に引きずり込む、暴力団や海外マフィア・国際人身売買ネットワークのシステムが持続する限り、同様の犯罪は起き続ける。これは本当に日本にやってきた人々の「自己責任」なのだろうか?
円安が加速する中でも人口減少と高齢化に歯止めがかからず、日本は移民と外国人の労働力をこれから先も必要としつづける。「持続可能な共存/寛容」といった綺麗なお題目で語ることのできない現実を直視することでしか、道は開かれることはないだろう。