源実朝
神仏と無常
得功徳
六五○ 大日の種子よりいでゝ三昧耶形さまやぎやう又尊形となる
大日如来の根源から生まれ出て、三昧耶形となって現われ、三昧耶形がまた仏の尊い姿となるのだ。
大日如来は密教の教主であり、それ自体が宇宙と一体であるとされる。一切万物の原因にして結果であるということだ。三昧耶とは誓願が形となったもの。諸仏の持つ器などを言う。尊形とは尊い姿。特に菩薩如来を言う。まあ、宗教には関心の薄い私にはどうでも良いことでしかないが。
懺悔歌
六五一 塔をくみ堂をつくる人もなげき懺悔にまさる功徳やはある
堂塔建立の外面的功徳を施して得意がるより、自己の内面に目を向ける方が大切だと、舌鋒鋭く詠んでいるのだろうと思う。
功徳というものは、見返りや報恩を期待して善をなしても意味が無い。無心で善行をおこなうことでしか本当の功徳は得られない。だが、善行をしているつもりの人の中には、功徳を期待している人がいるようだ。
ここで、慈悲の実践である「無財の七施」を実行について見てみよう。
1.眼施とは、やさしい眼差しで人に接すること。
2.和顔悦色施(わげんえつじきせ)とは、にこやかな顔で接すること。
3.言辞施(ごんじせ)とは、やさしい言葉で接すること。
4.身施(しんせ)とは、自分の身体でできることを奉仕すること。
5.心施(しんせ)とは、他のために心をくばること。
6.床座施(しょうざせ)とは、席や場所を譲ること。
7.房舎施(ぼうじゃせ)とは、自分の家を提供すること。
四国にはお遍路さんをもてなす「お接待」という習慣が残っていまる。人を家に泊めてあげたり、休息の場を提供したりするすることは様々な面で大変なことである。雨の日に軒下を貸すこともこの中に含まれるだろう。ただし、うかつに知らない人を泊めてやるのは危険だ。
一言でこれらのことを表すとすれば、「情けは人のためならず」ということだろう。自分の行いが自分に返ってくる。善因善果、悪因悪果、自因自果である。良い行いからは、良い結果が起こり(善因善果)、逆に悪い行いからは、悪い結果が起こる(悪因悪果)、そして、自らの行いの結果は、自分に返ってくる(自因自果)ということだ。私たちの現在の行いが、自身のその後の運命を決めその結果は、全て自分自身に返ってくるのである。
このような歌を詠むとは、実朝という人は意外にも内省をする人であったのかも知れない。しかも、その内省は苦悶に満ちていたり、葛藤に悩んだりすることもなく、至極無邪気にするのだった。
思罪業歌
六五二 ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄行へもなしといふもかなし
炎がただもう大空いっぱいに充ち満ちている阿鼻地獄。それ以外に死後の私が行きつく所はないというのも、まことに情けないことだ。
この歌もまた実朝が内省の人だったということを表しているようだ。
大乗作中道觀歌
六五三 世中は鏡にうつる影にあれやあるにもあらずなきにもあらず
この世は鏡に映る、実体の無い像のような物なのか。この世は、有るのでもなくて、無いのでもない。わけのわからぬ世の中ではあるなあ。
わけのわからないものに悩まされ続けた実朝の心境をよく表している歌だと言える。
心の心をよめる
六五四 神といひ佛といふも世中の人のこころのほかのものかは
神も仏も、人の心以外が生み出したものだろうか、いや、人の心によるものであろう。
この現代的な乾いた考えは、中世の人の発想とも思えない。実朝はいつどこでこのような考えにいたったのだろう。頻繁に二所詣でに出かけているので信仰心がなかったわけでは無いと思うのだが。
小林秀雄は、この歌を慈円の次の歌と比較した。
こはいかにまたこはいかにとにかくにたゞかなしきは心なりけり
そして、実朝の内省は無技巧で、率直で、低徊するところがないと断じた。
櫻
七○八 空蝉の世は夢なれや櫻花咲きては散りぬあはれいつまで
空虚な世界は夢なのだろうか、だから桜の花も咲いたかと思うと散ってしまう、ああいつまで……。
現世を夢や幻に喩えることはよくある。また、桜を儚いものの代表とする感覚とか、無常観というものが日本人には身に付いているからだろう。
無常を
七一一 かくてのみありてはかなき世の中を憂しとやいはむあはれとやいはむ
このようにばかり、生きていても儚い世の中を、辛いと言おうか、いとしいと言おうか。
儚い世を嘆く詩歌は無数にあるだろうが、将軍という武家としての最高の地位に就いた人間が、なぜそこまで世の儚さを嘆くのかということはいささか理解しがたい。やはり、北条家に実権を握られていて、身動きができない息苦しさが、実朝を嘆かせたのであろうか。
七一二 現とも夢とも知らぬ世にしあれは有りとてありと頼むべき身か
現実か夢かもわからないこの世の中であれば、我が身もはかなく頼りないものに思えてしまう。
ここでは身の儚さのみが歌われているが、儚いのは身だけではなく、心も思いもまた儚いのだ。儚い身、心、思いであるのに、人間は業によって身も心も焼かれる。
そのことを西行は次の歌を詠んだ。
身に積もる言葉の罪も洗はれて心澄みぬる三重(みかさね)の滝」
山家集下・雑・1118
我が身に積もった身業の罪も、狂言綺語である和歌を読み続けた口業の罪も、神聖な滝の水に洗い流された。三重の滝を拝むと三業の全てが濯がれるようで、心も澄んで意業の罪までが清められてゆく。
身口意の三業とは、身業・口業・意業の三つを言う。人間の行為を身・口・意志の三種に分類したものである。
業とは行為・造作の義で、善悪にわたる行為そのものだけでなく、その行為の余力としての習慣力が含ふくまれる。人の行為経験は、いかなるものでもそのまま消滅することなく必ずその余力を残し、それは知能・性格などの素質として保存・蓄積されると、仏教では教える。
「三重の滝」は大峰山中にある、千手・馬頭・不動の三つの滝を指す。「前鬼の裏行場」と呼ばれ修験道の厳しい行場だということだ。
だが、実朝は罪業の深い人間のどうしようもなさには言及せず、ただ「頼りない」という感慨をのべただけである。
わび人のたちめぐるを見て
七一三 とにかくにあれば有りける世にしあればなしとてもなき世をもふるかも
(どんな事情があっても)とにもかくにも生きていれば、世を過ごして行けるこの世なのだから、何も無くても、ないままに世を送っている事だなあ。
将軍の地位にある人がこのようにも無欲な歌を詠んだと云うこと自体が私には驚きである。だが、実朝は高い官位を望むことにかけては異常に貪欲だった。そのことについては気が付いていなかったのか、それともそのような貪欲さは横に置いてこのような歌を作ったのかは本人でないと分からない。あるいは、ただ他人の生きている様子を見て、単純な感慨を述べただけかも知れない。
人心不常といふ事を
七一四 とにかくにあな定めなき世中や喜ぶものあればわぶるものあり
とにもかくにも、なんと定めない世の中であろうか。喜ぶ者がいるかと思うと、つらがり苦しむ者もいる。
世間常ならずといふことを人のもとに讀てつかはし侍し
七一五 世中にかしこきこともわりなきも思ひしとけば夢にぞありける
世の中にあるすぐれたことも、とるに足らぬことも、悟ってしまえば夢のようにはかないものだ。
西行には「地獄絵を見て」という連作があるのだが、そのうちの一首にこんな歌がある。
見るも憂しいかにすべきか我が心かゝる報いの罪やあらなむ
西行にとっては「いかにすべきか我が心」が最大の苦悶だったのだろう。しかし、実朝にはそのような苦悶は見られない。ただ淡々と自分の思いを述べるだけという姿勢である。それは今までの歌の詠み方を見れば分かる。
日比(ひごろ)病すとも聞かなざりし人あかつきはかなく成にければ
七一六 聞きてしも驚くべきにあらねどもはかなき夢の世にこそ有りけれ
人の死を聞いても驚く必要はないのかも知れないが、はかない、夢のような世の中だなあ。
これもやはり淡々と自分の感慨を述べているだけである。実朝からは無常観が片時も離れることはなかったのだろう。