【躁うつと生きる】希死念慮が棲むということ
私の中には、希死念慮が棲んでいます。
まだ上手に飼い慣らせていないけれど。
もう20年も、一緒にいます。
私の中に希死念慮が宿ったのは、年子の姉の事故死がきっかけだと思っています。
姉は大学からの帰宅途中、自転車に軽トラが追突して亡くなりました。
「思っています」と表現したのには、私の持っている双極性障害の特性が根底にあるからです。
はっきりと診断を受けたのは、姉の死から一年程経ってからでした。
ただ私はもともとネガティブな質で、「死んでやる」が口癖の子どもでした。
鬱を発症するには、十分な素質があったということで、何も姉が亡くならずとも、躁うつにはなっていたかもしれない、ということです。
ところが、私のその口癖が、巡り巡って姉へと移ってしまったーー。言霊です。
迷信めいたもののせいにするつもりはありません。ただ漠然とした罪の意識が、私の中の希死念慮を、はっきりとした輪郭を持って存在させた起点となりました。だから私に希死念慮が現れたのは、姉の死がきっかけだと思っている、と表現したのです。決して姉のせいにしているのではなくて。
希死念慮は私の心から、生きようと思う心を蝕んでいきます。
私がいない方が、私じゃない方がと、徹底的に「私」を否定してきます。
私は学生時代の初めの一年は寮に住んでいました。発症前で、普通の一般的な学生として生かされていたのは、周りのペースに気が紛れていたから、そして姉の死をまだ実感していなかったからでしょう。二年生になって寮を出て、一人暮らしを始めてしばらく経った時、希死念慮は現れました。
死にたいという願望が、はっきりとした「行動」を具体的にイメージして。闇のように現れました。
まず、朝がくるのが怖くなりました。カーテン越しに透けて見える空が白み始めると、ずくずくと心が苦しみだすのです。
とにかく動けない。人に会うのが怖い。携帯電話の着信音が、部屋を訪ねるインターホンが、怖い。得体の知れない恐怖です。
希死念慮に心が支配されると、明るい世界に存在する自分が許せなくなります。
「なぜ生きているのがあなたなの」
希死念慮は、四方八方から私を責めます。
夕方空が暗くなる頃、ようやく体が動きます。けれど、動き出して思い立つことは、常に自殺手段です。
とりあえず死のう。
でも、実行に移せないことを、
私の心が知っているのです。
こんな自分のままでは、姉は私に会ってはくれない。姉に会えないのなら、この世もあの世も変わらない。私は姉が、大好きでした。
自死行為はいつもためらい傷で終わります。
分かっていながらやめられないのです。
そうやって、無意味に昼と夜を繰り返す一人暮らし時代が過ぎていきました。
ある日私は外へ出ようと決意します。シャワーを浴びて、食べ物を買いに外へ出ます。
ああよかった、生きていた。
世界はこんなに明るくて、キラキラしていたんだと、昼の眩しさに感動して、あんなに怖かった朝の空に、助けてもらえた気がします。
それはただの躁転で、決して快復したのではないのに、私の心は一気に解放されて、根拠なき自信が溢れ出ます。飲んでいた処方薬も不要とばかりに勝手な判断で飲まなくなり、気の向くままに夜出歩いたり、海外旅行に思い立って行ったりしました。
浮き沈みの激しい双極性障害の特性を分かっていなかったのです。
あっという間に鬱転してしまうのに。そうしてまた再び、希死念慮に取り憑かれてしまうのです。
死にたい、死ねない、死なない私と、突然の解放的な私とを繰り返しながら、ぎなぎな生き続けているうちに、姉のこと以外に死ねない理由が出来ていきました。
私は職に就き、結婚をし、贅沢にも三人の息子に恵まれました。母となり、子どものために死んではいけないという思いを持つようになりました。それでも一度棲みついた希死念慮はいなくなったりはしないのです。
結局何度も希死念慮は私の心を闇で覆ってきます。そのまま闇に覆われてしまおうかと、何度も思います。でも、それを抱えたまま、生きていかなればいけないと、決意する機会も同じくらい訪れるのです。就職、結婚、出産は、その機会をたくさん与えてくれました。
今日は出勤できた。行ってしまえばなんとかなる。明日無理なら考えよう。
夏休みくらい、いっしょに過ごそう。それからまた考えればいい。
運動会は見てあげないと。それからまた考えればいい。
卒業を見届けないと死ねない。それからまた考えよう。
私の人生は、死を前提にして進んでいます。
私に取り憑いた希死念慮を抱えて、一緒に生きていこうと決意するしかないのです。
ぎなぎなと、生きているのも悪じゃない。そう考えるようにしようという、決意です。
自己嫌悪の癖は治らないし、私は私を好きにはなれません。「死んでやる!」という、よくわからない頑固さは消えないし、希死念慮は思い出したように必ずやってきます。
面倒臭いけど、それも含めて私です。
受け入れようと、受け入れまいと、
私の中の希死念慮は、もはや私の一部なのです。