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<小説/不倫・婚外恋愛>嫌いになれたらは、愛を信じてる裏返し(8)STAGE1・出会い

 私たちは、限られた時間のすべてを二人で過ごした。そして、可能な限り体を重ね合う。チョコレートにはちみつと砂糖をかけたような、人生の中で、こんなに甘すぎる時間を体験したのはこの時だけ。最高級な身体の快感と、心の底から満たされる絶対的な安心と幸福感。何度しても、何時間してもずっと繋がっていたいと思う、すべてが一つになる感覚。

 セックスには消極的だった私が、直樹にも気持ち良くなって欲しくて、喜ばせたくてどんどん大胆になっていった。

 直樹も同じように、私を喜ばせようと尽くしてくれる。私たちは、表現しがたい深い快楽に溺れ、お互いにいつも求めあった。
  
 生きる意欲は、そのまま仕事にも発揮される。実際直樹は、大きな商談も次々と決めていき、早々に役職を貰うのではないかと噂をされていた。忙しくなる中でも、直樹は時間を作り、私と会う時間を毎日作ってくれていた。私を喜ばせることが嬉しいと、さりげない会話でも覚えていてくれて、私の好みのお店に連れて行ってくれたりもする。

 直樹と話せば話すほど、体を重ねれば重ねる程に自分の世界が広がって行くように感じる。実際に、私がこれまで見ていた世界が思い込みだけで作られていたと感じることも多かった。

「芹香が若い時に会いたかったな。ナンパとかされてたんじゃない?モテてそうだもん」
「ナンパはされていたけど、全然モテてないよ。チヤホヤされた経験何てないもの。男なんて、体目当てで誰でも良くて声かけてくるんでしょ?」
「は?あのさ、可愛いから声をかけるんだよ!体目当ては、その次のことだろう?それに、別にやりたいからだけで声をかけるんじゃないよ。そんな極悪な奴は少数だと思うけどな」

 そうなんだ……。確かに、男性を一括りで見ていた気がする。「突然すみません!今、声をかけないと後悔しそうで」と言われたこともあったっけ。蔑みの目で無視をしてしまったけれど、もしかしたらとても可哀そうなことをしたのかもしれない。

「近藤ちゃんは、直樹のこと好きだよね。仕事はできるから、そんなに課内では悪影響じゃないけどさ」
「いやいやいや。チャラチャラしてるし、ミスばっかじゃん!見たまんまだよ。高田先輩、めっちゃ大変だって言ってたし。この前も見積書を別の会社に送っちゃって、お客様に謝りに行ってたよ。本人は、『ごめんなさ~い』っていつもの調子で悪びれもしてないし。見積だって、入金だって一回自分で見ないとダメだって。中村さんなら一言で仕事が手放せるだろう。俺が羨ましいよってさ。実際、俺も凄く助かってる。芹香で良かったーって思うもん」
「そ、そうなの?私に来る書類は完璧だったから……」
「そりゃそうでしょ。芹香は最終チェックの立場なんだから、完成されたのしか見ていないんだよ。芹香に行くまでが大変なんだよ」
「部長に言って、変えて貰ったらいいのに」
「言ったことあるんだって。でも『お前の指示の仕方が悪いからだ』って取り合ってくれなかったらしいよ。なんせ、部長の愛人だしね」
「えー?!知らなかった……」

 私は何を見ていたんだろう?よくよく課内を見渡せば、みんなこれまでと違って見えた。高田君は年の割に疲れて見えたし、最近ちょっと髪も薄くなったかな。確かに、部長はよく近藤ちゃんを呼んでは何やらコソコソ話をしていて親密そうに見える。新卒からずっとここに居る私より、入社三年足らずの直樹の方が課内のことをよく見ているみたいだった。

 何でも知っている気がして、実は何も見えていなかったのかもしれない。誰も何も言わないし、知らないことも多かった。もしかしたら、私はみんなから見れば、怖いお局様なのかもしれない……。自分では自分の事がわからなくて、愕然とする。

「芹香の事を好きな俺が言っても信憑性に欠けるかもしれないけど、芹香は頼りになる上司だと思うよ。佐久間さんがミスして部長に叱られてる時も、さっと入って自分のせいだって言って庇ってたでしょ。自分の仕事の方が沢山あるのに、遅い仕事も手伝ったりしてさ。質問も相談も手を抜かないし。何でもかんでも自分でやるから、だから心配になるんだよ。できれば、無理はしないで欲しい。頑張らなくてもいいんだよ」

 別に、特別頑張っていたとは感じていなかった。これも私にとっては『当たり前』でしかなかったけれど、確かに無理をしていなかったわけではない。

 嫁だから当たり前。
 母なんだから当然。
 妻だから家事は全部私の仕事。
 営業事務の中で一番古株だから、全ての責任は私。

 全てを抱え込んで、疲れた自分すらも責めていた。
 誰かが楽をするために、自分を犠牲にしていた頃の私を作っていたものは、紛れもなく『誰がなんと言おうと、私には価値がない』という思い込み。

 休むことは悪であり、必要とされないことは孤独となる。

 だからこそ、ドーピングもいわば精神安定剤のようなもの。限界を超えて走らせてくれる薬。飲みすぎて、一日二錠までという用量では効果がない。一回二錠を何度も服用していた。

 『もっと頑張るから、私をあなたの側にいてください』
 役に立たない私は、自分を犠牲にしてでも誰かに必要とされることが、生きる価値だと信じていた。
 
 自分を無視し続けた私を、直樹は救い上げてくれたんだ。
 
 私には、この人しかいない。
 直樹と一緒に人生をやり直したい。
 日に日に直樹への信頼も愛情も増していく。

 直樹もまた、私と一緒だと信じて疑っていなかった。

 でも、そんな思いとは裏腹に、私たちはこれから何度も壮絶な衝突をして、これまでの思い込みを刷新していくことになる。

 時には、死にたくなるほどもがき苦しんだり、一気に世界が変わるような気持ちになったり、まるでジェットコースターのような感情の起伏に、自分の位置さえもわからなくなるほどに……。

 出口の見えないトンネルを歩く始まりの合図は、直樹の嫉妬からスタートした。でも、そんなのはまだ序の口。幾度となく襲う闇の感情は、歪んだ愛のカタチとなって表面化していった。

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