<小説/不倫・婚外恋愛>嫌いになれたらは、愛を信じてる裏返し(3)STAGE1・出会い
帰り道で、すぐにショッピングモールに入って下着を買う。作業着と制服も少し水洗いをして、クリーニングに出した。
そこでやっと一息つく。
フワフワして、歩くのも運転するのもちょっと無理。
いつもは飲まない、甘いミルクティーを買って車の中で休む。
あんな血の量はこれまでなかった。多分貧血……。
病院に行くのもおっくうで、いつも自己判断で解決していた。自分の体を大切にするよりも、自分がしなきゃいけないことの方が優先。そんな生き方が当たり前に染みついている。そして、同じ敷地内に義理の親が居るから、休みたくても、家にも帰りずらい……。色々詮索されても面倒。嫁の顔になる体力が回復するまでは動きたくなかった。帰ったら最後、家事も待っている。
いつもの帰宅時間まではこのままで居よう。明日は、野本君にどんな顔で会えばいいんだろう。もしかしたら、社内にも広まっているかもしれない。部長がしおらしい原因はそのせいかも……。そんな不安が襲う。グルグルと考え込んでいたけれど、気が付いたらいつの間にか眠っていた。
次の日も体が重い。多分、貧血が続いている。休むか出勤か迷ったけれど、熱はないから会社に行かなきゃと覚悟を決め、また昨日より多めに滋養強壮剤を飲んだ。
会社に着いたら、私が思っていた最悪のシナリオではなかった。
営業サポートの後輩が声をかけてくる。
「体大丈夫ですか?最近育成もしているから、仕事無理してたんじゃないんですか?いつも、私たちに声をかけてくれて、忙しい時でも余裕そうに見えていたから、お子さんもいるのに凄いなって思っていたんです。大変な時は言ってください。これ、入金のチェック私やりますね」
そう言って、私の分の入金作業を持っていってくれた。
「ごめん、ありがとう。助かる!自分のもあるのに。無理だったら返してくれていいからね」
「いいですよ!やること一緒なんですから。もっと、信頼してくださいー」
こんなにこの子、心強かったんだ。
「昨日、あの後、野本さんが部長に立てついたんですよ。ミーティングルームから中村さんが走って行ったあと、野本さんが『顔色悪くてフラフラしてたんで。中村さん、早退だと思います』って言ったら、部長が『なんだ、更年期か?』って言ったんですよ。そうしたら、野本君が『更年期だったら何なんですか?俺に仕事を教えてて、自分の仕事もしてるんだから、疲れてるとか思わないんですか?』って。私も気が付かされました。すみません」
そんなことがあったんだ。野本君のことも疑っていたのかもしれないと反省する。
夕方前に、野本君が佐藤と営業から帰ってきた。
「あっ!中村さん、体調大丈夫なんですか?」
昨日の事には一切触れずに、ニコニコと元気そうな声をかけてくれた。でも、あんな失態を見せてしまって、恥ずかしい気持ちだけしかない。私は、モゴモゴと「昨日は本当にごめんね」と、声だけを返す。
定時を過ぎていたけど、私は溜まった仕事の処理があって居残り組。
今は、佐藤の営業サポートに加えて、野本君の営業サポートにも入っている。野本君はまだたいしたことないけど、佐藤はトップセールスの営業マン。それだけ事務量もおのずと増えてしまう。さらに、社歴的に営業サポートチームのリーダーもしているから、その子たちの相談や手伝い。そして今は、月末定例会の資料作りも重なっている。
夫に申し訳ないが、夕飯のお願いをする日が増えていった。
こういう時は“人生の中のほんの数時間”と思うようにして、また滋養強壮剤を追加する。ここまでしていても、自分が無理をしているとは思っていない。逆に、こんなこともこなせないなんて、自分はなんて出来ない人なんだと思ってしまっていた。
営業ミーティングも終わり、そろそろ残っているのも私だけになる。
「まだ帰れないんですか?手伝いますよ」
野本君が声をかけてくる。でも、まだそのままお願いという訳にもいかない。教える時間があったら、自分でやった方が早い。
「大丈夫だよ、もう終わるから。疲れたでしょ。家族も待ってるし、ゆっくり休んで」
そう嘘をついた。
「コーヒー買ってきます」
気を遣うから帰っていいのに。疲れも重なって、そんな優しさにもいら立ちを感じていた。
いつものブラックコーヒーを貰って、「ありがとう。お疲れ様」そう言って、またPCに向かう。でも、野本君も帰らない。
私たちだけしか居なくなって、昨日の事を切り出す。
「昨日はごめんね。あんなもの…。そのままにして帰っちゃって、本当にごめんなさい」
「全然ですよ。あの後、誰か入ってきたらまずいと思って、咄嗟にコーヒーをぶちまけました。我ながらナイス判断って思った!流石に、絨毯の床は苦労したんで、掃除のおばちゃん捕まえて、手伝ってもらっちゃったんですけどね。仕事増やして申し訳なかった。今度、なんかお礼しないと笑。何も気にしないでいいです。あんなものとか…言わないでください。大変なのは、自分なんだから」
疲れのせいか、目頭が熱くなる。震える手でコーヒーを飲んで、無理矢理笑顔を繕う。
「コーヒーか笑。咄嗟にその判断はすごいね!ありがとう。本当に感謝してる」
「中村さんは頑張り屋さんだから、もっと周りに頼っていいと思います」
「全然頑張ってないよ。与えられた仕事をしているだけ」
少しの沈黙の後、野本君が言う。
「できないって言ったことありますか?」
できない…。
初めて気がついた。確かに、私は言えない。そして「言ったことない」という事すらも、野本君に言うことができない。どうしてだろう?どうしても言葉を出せず、また沈黙が流れる。
野本くんは、デスクに腕枕をして私を見ている。答えをゆっくり待ってくれているようだった。
その眼差しに、少しずつ心が開き始める。
「言えない。もう、この年齢になったら甘えるとか無理でしょ…、それに、私ができなかったら誰かがやらなくちゃいけなくなる。迷惑かけちゃうもの」
「甘えるのが怖い。迷惑かけるのは悪いことって感じてるみたいだけど、全部1人で頑張らなきゃいけないから苦しくなりませんか?」
「甘え方なんてわからない」
机の上のキーボードを見ながら、ぶっきらぼうに答える。
「一緒に帰ろう。昨日、あんなにフラフラしてたんだから。無理しないでください」
その声を聞いて、私はやっとゆっくり息をした。
「そうだね」
感じないようにしていた無理が押し寄せてくる。滋養強壮剤はドーピングみたいなもの。切れた時には、いつもガクっとする。残った仕事に向かう気力がなくなった。座っていたところを気にしながら、そっと立ち上がる。出血も落ち着いていて、この前のようにはなってなかった。ほっとしたら、立ちくらみ…。デスクに手をついて落ち着くのを待つ。
そっと、野本君が私の背中に手を添えて、また座るように促した。
「迷惑だなんて思わなくていいですよ。俺がここに居たくているだけだし、心配したくてしてるだけなんで」
やっぱり疲れてる。涙腺がゆるんでいた。私はそれを隠すため、デスクに腕枕をして顔を埋め、深呼吸を繰り返した。早く涙が引いてくれないと、野本君が帰れない。私は、充血した目を隠しながら立ち上がる。
「帰ろっか。もう21時」
「もう少しゆっくりしてても大丈夫ですよ?運転できますか?」
「大丈夫!遅くなっちゃうから。明日も仕事だし」
ロッカーで着替えてる間も、野本君は待ってくれていた。
「今、作業着クリーニングに出してるから来週返すね」
「わざわざいいのに。ありがとうございます」
「今週末、営業ないよね?お礼にランチ奢らせて」
「良いんですか?やった!じゃ、お言葉に甘えて。絶対ですよ。約束ね」
なんか凄く喜んでくれている。こういうのを甘えるって言うんだろうか?
私が車に乗っても、野本くんは車に乗らずに見送りの体制だ。
「大丈夫だから笑。野本君が行かないと帰りづらいよ」
「いいから。無事に走り出すところをみないと俺が心配なだけ!ほら、行ってください」
仕方なく、私は車を出した。バックミラーにはまだ野本君がいる。
見えなくなるまで走って、コンビニに車を停める。ドーピングの反動。手が震えて、朦朧とする。目を閉じたらすぐ寝てしまいそう。こんなところで眠ったら、帰宅が夜中になってしまう。子供も待ってる。
これまでこんなに疲れたことなんてあったっけ?野本君が私の何かを緩ませた。
どうせ食べ終わった食器も洗濯も残っているだろう。夫は言われたことしかしない。食事を作ってと言ったらそれだけだ。わかりきっていること。
疲れたし、やりたくないな…。仕方なく、もう一度ドーピングする。
家に着いたら案の定だった。座ったら絶対立てない。休む間も無く家事をこなす。夫はいつも何もしないし、何も言わないし、何も聞かない。
私も、夫が連絡なしに遅くなろうが全く気にならない。
夫婦間は冷めきっていた。
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