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【連載小説】耳は幸せを運んでくれた(5)
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*……*……*……*……*
夕飯を食べに行く日は、絵画教室に行く前日の金曜日。日取りも決まって、なんだかソワソワする。
私には、優しい家庭で育った経験がない。
父はいつも怒っていたし、母も父の顔色ばかりを気にして私に見向きもしなかった。
そして、何も言わずに逝ってしまった。
亜希ちゃんのご両親は、どんな人なんだろう?温かい普通の家庭なんだろうな。私が行って変に思われないだろうか?こんな私を知ったら、もうお付き合いやめなさいとか言われちゃうかも…。
大好きな亜希ちゃんのご両親だもの。粗相がないようにしないとな。亜希ちゃんちに、お土産を買って行こう。そう思って、亜希ちゃんにメールをする。
“ご両親は何が好きなの?お酒とか飲む?”
すぐに返信がきた。
“何もいらないよー!元気な体1つあれば大丈夫!”
“仕事終わったら、2人で行こう♪逆に、好きなもの教えてって言ってるー。お母さん張り切ってるよ笑”
聞いても答えてくれそうにないから、月並みだけどクッキーのセットを持っていこうかな。
“何でも食べれるよー。ごめんね。お手数かけちゃって。ありがとう”
“何それ!みんな楽しみにしてるんだってばー。今日なんて、いつも掃除しないところを、お父さんが掃除してた笑”
“何でも良いはなし!食べたいの教えて!”
気を遣わせて申し訳ない。でも、言わないと終わらないよね。
“じゃー、ちらし寿司かな”
“OK!本当に気を遣っちゃ嫌だからね。みんな、楽しみにしてるんだから”
なんか、私の思いを伝えるのはダメなことのような気がして、申し訳なさがいっぱいだ。
これまで経験したことのない優しさを素直に受け入れられない。
ただただ、落ち着かなかった。
お家にお邪魔するから、いつもの普段着じゃなくフレアスカートにストッキング。襟付きのブラウスに薄緑のニットを羽織る。
朝出勤したら、スカイブルーに“おしゃれしてー!デート?”
なんて言われてしまった。やりすぎたかな。もう少しラフな格好にすれば良かった…。
今日は、お昼の時間が合わなくて、仕事が終わって亜希ちゃんを待つ。亜希ちゃんは、当たり前だけどいつもの普段着。
“お嬢さんを僕にくださいバリだねwwwww。かわいいよ。本当キュンとしちゃう♡”
そのくらい、私にとっては緊張する事なんだけどな…。
確かに彼氏の家に挨拶に行く感覚だったかも。
亜希ちゃんの家について、形式ばった挨拶と手土産を渡す。
“こんな丁寧に。ありがとう”
お母さんは、亜希ちゃんと同じでとっても天真爛漫な感じ。
お父さんは偉ぶっていて怖い人っていうイメージしかなかったけど、照れくさそうに、どうぞどうぞとエスコートしてくれた。
テーブルには、所狭しとご馳走が並んでいる。
“一人暮らしだと、お刺身もなかなか食べないんじゃないかと思って”
と、ちらし寿司の他に豪華なお刺身。
かぼちゃのグラタンやから揚げ、トマトのカプレーゼ、ピーマンの肉詰めもある。
“ちらし寿司しか言ってくれないんだもの。一人暮らしって聞いていたし、あれもこれも食べて欲しくて作りすぎちゃったわ笑”
気を遣ってしまったけれど、逆にこんな風に思ってくれるなんて驚いた。
音はないけれど、とても賑やかだった。
“お父さんは、今日お昼から有休使ったんだって笑”
と亜希ちゃん。
“お母さんの料理を手伝おうと思ってさ。みなみちゃんが来るときに俺だけいないのも寂しいだろ”
“もう、私の周りをウロウロするだけでちょっと邪魔だったわ笑”
とお母さん。
こんなに優しいお父さんもいるんだ。
お母さんがあんな風に言って、お父さんが怒ったらと、一人でヒヤヒヤしてしまった。
でも、豊田家ではこれが普通なんだろうな。
お酒も飲みながら、みんなで沢山話した。
お父さんは、亜希ちゃんと同じで産まれてからずっと耳が聞こえないらしい。
お母さんは、健常者。
亜希ちゃんには、私が中途失聴者ということを言っていたから話せることを知っている。でも、手話はできない。会話はipadを3台卓上に置きながら話す。
1つは文字変換アプリが入っていて、私とお母さん用。
もう2つは文字を打ち込んでチャットみたくしている。私が来るからと工夫してくれていた。
私も、久しぶりに沢山声を出して話をした。
「みなみちゃんのご両親は?遠くに住んでいるの?」
お母さんが質問してきた。
「私は…。19歳の時に母が亡くなって。父とは…疎遠なんです」
なんか、ちょっと恥ずかしくなった。お母さんを見ると、口に手を当てて目を潤ませている。
「急に耳が聞こえなくなって、一人でどんなに心細かったことか…。ここまで本当に頑張ってきたのね。生きててくれてありがとう。私たちに会いに来てくれてありがとう」
その言葉を聞いたら、涙がとめどなく溢れた。
ずっと、私は心細かったんだ。
私は、頑張っていたんだ。
私が生きていることに感謝されるなんて、思いもよらなかった。
生きていても死んでも、誰にも目にも止められない。そんな風に思っていた。
お母さんは、私を抱きしめて頭をなでて、背中をポンポンしてくれている。
とても温かくて、お母さんに抱きしめられながら、さらに声を上げて泣いていた。