【連載小説】耳は幸せを運んでくれた(4)
1話目はこちら
*……*……*……*……*
海斗さんに、LINEする。
“入会をお願いしたいんですが、いつお伺いすればいいですか?”
……ずっと携帯とにらめっこしていたが、待っていても返信がこないから夕飯を作ることに。
わかめスープと冷凍唐揚げを使った親子丼。
手の込んだ料理ではないけれど、作って食べるということだけでも、ちゃんと生きているって感じる。
絵画教室に行く前までは、コンビニや食べない時も多かった。
それは、生きることに意味がないと思っていたからかもしれない。
若い頃から、やりたいことを見つけて邁進できる人。
周りのサポートで押し上げられるように輝かしく活躍する人。
愛するパートナーと家族を育む人……。
そのどれもない自分の人生に価値を見出せなかった。
自分で命を断つほどの気力も、生きる気力もない。
死ぬことも、どうでもいい。
何もないということの苦しさは、全身真綿でくるまれて上から縄でグルグル巻きにされてる感じ。
息をするにもちょっと苦しい。身動きは取れないけど、温かい。
縄だけで縛られているよりは痛くないよね。だから、叫ぶほど文句は言えないよねみたいな。
親にも大切にされず、彼からもモノのように扱われ、会社でもパワハラのターゲット。
そんな居なくなっても良い人たちが、自分から離れたことに心を痛めて、生きる気力すらなくなっていたなんて。
失ったことばかりに嘆いていたけど、なくなっても良いことを虫眼鏡で大きくして見ていただけだった。
耳が聞こえなくなってから、人も環境も全てが刷新された。
自分だけでは、気付けないことを強制的に軌道修正させられた感じ。
これまでの私の全てを手放すために、耳が聞こえなくなったのかもしれない。
耳が聞こえる時から何度も見ている“プラダを着た悪魔”を、字幕付きで見ながら夕飯を食べた。
頭の中ではアクターの声が勝手に再生されている。
そんな楽しみ方にも、だいぶ慣れてきた。
食べ終わって、携帯を見ると通知ライトが光っていた。
海斗さんだった。
“ご連絡ありがとうございます!お久しぶりです!佐藤先生からも連絡貰ってました。お仕事始めたんですね!”
“今度の土曜日。17時ではいかがでしょうか?まだ、油絵具セットなどを購入していなければ、こちらでもキャンバスが3枚付いて、25000円で販売しています。もし、自分のを揃えたいなら、いつでもご相談くださいね”
なんか、私の連絡を喜んでくれているようで嬉しくなった。
海斗さんに、了承の返信をする。
何を描こうかな?どのクラスでもいいのかな?全部のクラスに顔を出したりも出来るのかな?
気持ちが浮足立つ。
あれから、気が向くとたくさんの絵を描いていた。
100均で、スケッチブックや色鉛筆、水彩絵の具を買ってきて、
きのこの山を食べながら、その箱をデッサンしてみたり、空想を絵にしてみたり。
海斗さんは、プロとして凄い絵を描くんだろうな。
私のは、見せるのも恥ずかしいほど幼稚な絵。
そんな考えがでてきたら、ちょっと悲しくなった。
まずはデッサンで、基礎をしっかり学ばなくちゃ。
習うなら、楽しいだけじゃダメだよね。
私、絵が上手になったら何がしたいんだろう?
さっきまでの、ただワクワクしていた気持ちが一瞬で緊張に変わる。
スケッチブックと色鉛筆を取り出して、絵を描こうとしていたけれど、
何を描いていいかわからずに、真っ白なまま。
そんな時に、亜希ちゃんからLINEが入る。
“お疲れー!明日のお昼は、何話そっかなーって考えてたら落ち着かなくなっちゃった( *´艸`)”
“あと、親にみなみちゃんのこと話したら今度夕飯食べにおいでーって!いつが良い?”
天真爛漫な連絡に心が軽くなる。
気持ちを切り替える努力をして、亜希ちゃんに返信する。
“何話すって言われると考えちゃうね~笑 お互いの好き嫌いとか、王道だけど知りたいかも!”
“亜希ちゃんちにお呼ばれ!緊張するーでも嬉しい!明日またそのことも話そう”
“うん!楽しみだね~明日♪ 最初の、知らないことを知っていく感じって結構好き。 じゃ、おやすみー”
知らないことを知っていく感じか……。
確かにそうかもしれない。
油絵だって、仕事だって、これからどうしたいのかは、やってからじゃないとわからないもんね。
亜希ちゃんの言葉が、私をニュートラルに戻してくれた。
片付けは後回しにして、冷蔵庫からビールを持ってくる。
彼といる時は、機嫌が悪くなるからすぐに片付けるように気を遣っていた。
やりたくない時もあったし、一緒にやってくれたらって思っても我慢してた。
でも、もうそんなことしなくていい。
一人暮らしだからこそのダラダラ感を楽しむ。
真っ白だったスケッチブックに、やっと色が入る。
満月にかかる虹。
空想の世界で、寝る事も忘れて夜中まで夢中で描いていた。