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いつかの誰かが感じた事を
noteに参加させてもらってから、はや5ヶ月ほど。noteの中を散策していて「ん?」と気になるタイトルや「お?」となる書き出しを見つけると、ついタップしてしまう。
何だか赤提灯がぶら下がる、いい雰囲気のお店の暖簾をくぐる時に似ている。
1人なんですけど、いいですかね?って。
自分の頭の中は迷路だから、アウトプットするのにどうにも時間がかかる。伝わりやすいようにしているつもりでも、後々見ると「ヤベー奴がヤベー事書いてる」noteになってる。
半分以上は、まぁそうなんだけど。
だから、すごい面白い文章を書いてる人の言葉の選び方や遊び方は尊敬する。
ヤベー奴は、そんなスゴイの書けない…。
そんな人たちのnoteを読んで、また自分の中の迷路が広がっていく。あまりに広がりすぎて、壁に手をつけて歩いていないとすぐ迷子になってしまう。
楽しいと全力で走って
悲しいと真っ暗な中を途方に暮れながら歩いて
どうしても理解できない難しい話の角を曲がって
自己と他者の壁にぶち当たる。
そこから、来た道を戻るかどうしようかと考えているうちに、新しい道ができていく。
どうしよう、すっごい楽しい。
私は変人を自覚しているが、変態でもあるらしい。新しい考えや理解の難しい(感情的な面でも、理屈的な面でも)話を読んで「私なら」と思い始めてしまうと、仕事中でもプライベートでも一日中ずっと止まらない。
読みきれないほどの記事、繊細な感情表現とそれを書いている作者様、クリエイターとそれに関わる人全てを幸せにしようと頑張っている人。
note、最高なんですけど。
最高の場所だけじゃない、アウトプットを苦手とする私からすると、ここは修行の場所とも言える。
どの視点で書くと共感してもらえて、どう表現すると自分の言いたいことが伝わる文になって、とこねて書き回しているうちに、いつの間にか迷路にぽつぽつと光が見えてくる。
それは誰かが「あの時」に感じた感情の端だったり、「私なら」が行き着いた先の気付きだったり。自分の感情と誰かの思いや言葉とが反応していく。
残念なことに、この迷路には出口はないらしい。私はずっと気ままに迷って、迷路は縦横無尽に広がって明るさや暗さを増していく。
いやぁ、楽しい。
さて、これからどの道へ向かって行こうか。