今できていることができなくなった時のことを考えて選ぶキャリア
今回は、プロダクトマーケティングマネージャーの長廻さんのキャリアを紹介します。
現在は、プロダクトについてプロダクトマネージャーと協業しリサーチ、方針の言語化、チームの推進などをしています。
吃音で悩んだ子ども時代
小学校2,3年の頃から吃音が出るようになり、もどかしかった記憶があります。話したいことが100があるうち20程しかスムーズに話せなくなってしまうことが度々ありました。
具体的にいうと、言葉の頭にハ行・カ行・サ行があると上手く言えず、それらの言葉を避けるために、必然的に言い換えを考える機会が多かったです。
例えば、お店で注文する時に「アイスコーヒー」がうまく言えないために、「冷たいやつで、コーヒーの」みたいに言い換えたりしていました。
「あ、あ、あ」などの吃音が出てしまうと「緊張しているのかな?」と思われる方が多いんですが、実は、吃音には2パターンあるとこの間知りました。
緊張すると吃音が出る場合と、リラックスしている時に吃音が出る場合です。
僕は後者だったため、友達と仲良くなればなるほど、吃音がひどくなり、何か言いたいことを思いついてもうまく話せないことがストレスでした。逆に、気が引き締まっている状況、例えば、授業中の音読ではすらすらと読むことができたし、吃音の病院の受診の際も、問題なくすらすらと話すことができたため、医師に「大丈夫だね」と勘違いされたこともありました。
当時は、「大人になっても一生こうなのかな」と漠然と考えていたのですが、不思議といつの間にかほとんど出なくなりました。
今でも油断していると言葉が出ない時があるので、完治することはないんだろうなと思っています。
コピーライターの師匠、小霜和也さんとの出会い
大学は理工学部に進みましたが文系寄りな学部で、周りの多くが金融関係の仕事に就職するような学部でした。
僕は、吃音の影響もあって子どもの頃から「言葉」についてよく考えていたこともあり、大学2年の頃「コピーライターになりたい」と考えるようになりました。色々とコピーライティング系の本を読み漁っていたところ、小霜和也さんの本に出会いました。
小霜さんは、博報堂から独立された方で、「PlayStation」「KIRIN/一番搾り」などのCMを手掛けた方です。(残念ながら、一昨年ご病気で亡くなりました。)
小霜さんの本の中で、「言葉でお金をもらうならば、誰かの役に立たないといけない」みたいな言葉があり、それにグッときてこの人の弟子になりたいと思い、TwitterのDMで本人に直接連絡を取りました。ご返信をいただき、「社会人も含めた広告学校をやっているから応募してみたら」と言われたのが始まりで、大学在学中に、小霜さんの広告学校に所属することになりました。
その広告学校では、1週間に1回課題を提出するんですが、小霜さんに課題を見てもらう度にみんなボコボコに打ちのめされていました(笑)
それぞれの提出案に対して言葉を扱っている方だからこその「グサリと刺さるような言葉」をズバズバ言う方だったので、途中で辞めてしまう方もいるくらいでした。
その広告学校を卒業した後、仕事をご一緒させてもらえるようになってからも厳しい指導スタイルでした。でも後半の5年間は褒めてもらえることが増えました。ある時メールの返信で、1行だけ「Fantastic!」とだけ返信が来たことがあって、その時はシンプルな言葉ながら震えるほど嬉しかったです。
小霜さんに「言葉を使うんだったら文章のインプットをしないとありえない」と言われたこともあり、大学在学中に1000冊本を読む目標を掲げ、お金もあまりなかったのでブックオフに通い、結果として850冊くらい読みました。
高校までは「ボボボーボ・ボーボボ」の漫画ばかり読んでいたのに、小霜さんの影響で読書習慣が身につき、現在でも読書好きです。
未経験でリクルートのWEB担当に
大学時代にコピーライターをしていた時に感じたのは、こちらがコピーを提案しても、決定権は事業側にあるということ。その経験から、本業は事業側に行きたいと思い、何社か就職活動をしました。ちなみにコピーを考え提案すること自体ももちろん好きなので、今でも個人活動としてコピーライターは続けています。
新卒でリクルートを受けた時は、「一般採用枠」ではなく「web採用枠」を受けました。
「web採用枠」は基本的に、SEOに強い人、ウェブマーケター、UXデザイナー、エンジニアの方々が入る枠でした。私はそのあたりは未経験でしたが、面接の時に、「今後はweb上でのコミュニケーションが大事になってくると思うので、自分のコピーライティングの経験を生かせるのではないかと思います。」と話したところ、面接で盛り上がり採用してもらえました。
「一般採用枠」は、体育会系できらびやかな生命力が強そうな人が多く、そこは受かる自信がなかったというのもあります(笑)
1年目は、「なんでもします!」という姿勢で、キャンペーン整理等をしていました。当時メンターだったTVCM担当の先輩にくっつき、そこで作成した議事録を評価していただいたことをきっかけに、「マスプロモ担当やってみるか」とお声かけいただき、2年目からTVCM担当をさせてもらえることになりました。
TVCM担当は通常、事業に長く携わってきた方がやるものだと思うので、普通ならありえないことだと感じています。ありがたい環境でした。
TVCM担当では、会議用のパワーポイントを作ったり、代理店との窓口をしていました。マスプロモだけをやっていたところ、「web採用だったんだよね?」と、代理店の方に型を教わりながらアプリ集客も担当させてもらえました。数字感や大枠を把握する仕事でした。
上司の方がマス調査に強い方だったこともあり、自分の意見を言えるようになるために根拠を持てるようになりたいと思い、マス調査も積極的にやりました。自分で手を動かしてできるようになりたいと思い、他の人があまりやりたがらないExcelのツールも操作できるようにしました。
メガベンチャーのメルカリに転職
メルカリに転職した知り合いから、「メルカリは1ヶ月半で1個のCMを作る」という話を聞いたことが転機になりました。リクルートは半年で1個のCMを作りあげていて、それでも平均より早い方だと思うのですが、動きの早いメガベンチャーの方が自分に合っているのかもと思い転職を考え始めました。
元々、「何かあっても自分の腕だけで食べられるようにしておかなければいけない」という気持ちが強かったし、テレビCM業界には立派な方がすでにたくさんいるので、その中では自分は戦えないと思っていたこともあります。
メルカリに入社したのは上場する少し前でした。入社後はCM担当に。早々に、1つのCMを1ヶ月半という短い期間で作成しました。
入社して感じたのは、自分ができることの範囲が広がり、自分で考えて決められるという楽しさでした。上司に「こうしたい」と提案したら、よっぽど変でなければ「いいと思うよ」と言われて進んでいく感じでした。
ほぼGoogleDocksのみ使用で、ほとんどパワーポイントやGoogleSlideを作ることなくポンポンと仕事が進んで行ったのもスピード感があって良かったです。
メルカリもどんどん社員が増えて、CMに関わる人が10人以上になった時があって。その時は、CMを抜けて、オフラインとオンラインが重なった施策やwebCMの方に逃げていましたね。自分なりに根拠を作ってから企画をどんどん上げていっていました。他部署の方と一緒にやっていくのが楽しかったです。カスタマーサクセスの人と一緒に、実際にお客様の声をもとにしてチームでアイデアを考えて施策を進めて行ったりしていました。
LAPRASとの出会い
転職する気はなかったんですが、ビズリーチでLAPRASからスカウトが来て事業内容に興味を持ちました。
メルカリで昇進して行けばできることがもっと広がっていくんだろうなと感じましたが、あと3年いたら部長になれるかと言ったら無理だし、他社で違う経験がしたい気持ちになりました。
これまでも大きな組織の中で、小さなチームを作って回すのが好きでした。
「自分の力でできた」という経験は小規模な会社の方ができると思ったし、30〜40人くらいの規模の会社に行くのは若いうちのほうが良いかもしれないとの思いがあったのでLAPRASへの転職に迷いはなかったです。
LAPRASに入った当初は、Cマーケで広告改善担当として入社しました。
そこからキャンペーンを行なったり、リサーチを進めることも多くなり、それをもとにプロダクトチームとやりとりが増えていきました。
プロダクトマネージャーと一緒に、ユーザーインタビュー、リサーチを行い、その結果をまとめ、エンジニアチームと一緒に選択肢を洗い出し、開発し、振り返りを回していってます。
自分にしかできない「強み」を作る
子どもの頃、急に喋れなくなった経験から「普通のことしかできないと人生が詰んじゃうんじゃないか」という危機感を強く持ちました。今の延長線上のままではハッピーでいられるわけがない感覚です。
だからこそ、大多数の人ができないことをできるようになろうと思ってきました。
転職などで次のステップへ行く時の基準としては、自分の強みが役立ちそうな環境に身を置くようにしています。
これまでの経験を振り返っていうなら、リクルートの時は学生時代に培ったコピーライティングの知識をweb分野で活かせると思いました。メルカリの時はマスプロモができる若めの人はいないことをアピールして入社し、LAPRASに入る時も、調査から根拠をもって施策を進める人が意外と周りいないので、必要としてもらえそうと思い入社しました。
アウトプットをしっかり作ることで、社内の人を巻き込む
新しく何かしようとするときは、口頭だけではなく、アウトプットをしっかり作って社内の人が見える状態にし、そこに記録をきちんと残し、それを基に仕事を進めて行くようにしています。
なぜこの施策をする必要があるのかや、誰が何を進めているかの認識合わせをどこかに書いておかないと、みんなの認識が合わないし人と一緒に何かを進めることができないと思っています。
実際に過去にアウトプットを作らずに進めようとしても上手くいかなかった経験があり、そこから作るようにしています。
また、以前の会社で、退職された人が残してくれたアウトプットにすごく助けられたことがありました。「これを作った人のことは知らないけど、かっこいいな…」と思って、自分もそんな風にアウトプットを残せる人になりたいと思いました。
アウトプットが残っていれば、どういう背景で実施したのか、何が問題だったのか、結果はどうだったのか記憶だけに頼らずに思いだすことができるので、社内でもアウトプットをきちんと残しています。
今回は、コピーライティング・マーケティング・マスプロモなど多岐にわたるスキルをお持ちの長廻さんにこれまでのキャリアについて伺いました。
子どもの頃のもどかしい経験をバネに、現状に甘んじず、常に危機感を持ってスキルを磨き続けている姿勢が印象的でした。
また、社内でもアウトプットをしっかり作ることが、人を巻き込む力になるとのお考えを聞かせていただき真似したいと思いました。
LAPRASでは現在、一緒に働くエンジニアメンバーを募集しています。興味を持っていただいた方はぜひお気軽にお声かけください!
また次回、別のLAPRASメンバーのキャリアをお届けできればと思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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