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ひとり哲学をしてみる

時間がたくさんある。ありがたいことだ。
しかし家にいると集中がもたない。そこで場所を変えて読書に来ている。サイゼリヤだ。(混雑時を避けています)
この喧騒が心地よい。皿の音、喋り声、よく調和している。しかも安い。

こども哲学に関する本を読み終えた。前半の理論的な部分が長めでわたしにはつらかったが、これからの不確かな時代を生きていく上で、こどもたちが哲学的に対話を学ぶことはとても重要であることがわかった。

後半の、実践的な手法や例などが、普段の授業の参考にもなりそうでよかった。切り返しの言葉や、自己評価の仕方などは取り入れたいと思った。

読み終えて、すぐに授業をしたくなった。しかし今は担任を持っていないし、学校も始まらない。そこでひとりで哲学対話をしてみることにした。

テーマは「なぜ勉強をするのか」

そもそも、勉強をするとは何か。新しいことを知ること。考える力をつけること。知っていることと知らないことを結びつけること。

でも、ゲームの方が、簡単にできて、しかも楽しい。

楽しいだけではダメなのか。

それは、簡単なことだけしていると、難しいことができなくなる。考えることができなくなる。そうすると、悪い考えに流されたり人を傷つけたりしてしまう。
そんな生き方は良くない。

だから、よりよく生きるため、悪い考えに流されたり人を傷つけないために勉強をする。

では、消極的な理由だけじゃないことはないのか。

新しいことを知ると世界が広がる。例えば、コーヒーのことを知らずに飲んだら、なんだかよくわからないけど、豆の産地のこと、作り方のことなどを知ったら美味しく感じるかもしれない。そして、別の時にはコーヒーの知識と世界地図の知識が結びつくかもしれない。そういうふうに世界が広がることはとても面白いことだと思う。
だから、世界を広げて人生をより深く味わうために勉強をする。


論破みたいなことは得意ではないから、ふんわりとしているかもしれないが、これをわたしの結論とする。
脳内で意見を交わすことは、おもしろかった。哲学対話では、場所の安全性「セイフティ」が最も大切とされる。何を言っても受け止めてもらえること、相手が話を聞いてくれることが前提となって対話となる。普段自動思考で自分の考えを否定してしまうことも多いが、受け止めることが大切だと感じた。

久しぶりに本を読み終えた。不確かなことが多いが、確かなのは自分の意識だ。これからも考え続ける人でいたい。

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