小さなたからものたちと過ごす日々
「楽しくない大人、楽しめる子供」
ちょうじょちゃんの夏休みの工作の材料を買いに夕方歩いて買い物にいったのだが、16時でも17時でも今年の夏の外は暑い。過酷に暑い。
買い物が終わり、持参した水筒の水を途中飲みながら、汗だくになりながら家に帰ろうとしているときに、ちょうじょちゃんが「ママはあるきながらするあそびで、なにがすき?」と聞いてきた。暑さと、買い物をした荷物の重さと、子供たちの安全配慮で神経を尖らせていた私は、「いまは、すきなあそびはないかな。ちいさいころは、じゃんけんとかしりとりとかたのしかった気がするけれど」と、余裕のなさから若干不機嫌に答えてしまった。
ちょうじょちゃんは、すこしかんがえてから「どうしておとなはたのしくあそべなくなっちゃったの?いつからそんなふうにたのしくなくなっちゃうの?」と、悲しそうにきいてきた。
「いやいや、あなたたちの世話が大変なのよ」と反射的に思う自分と、ちょうじょちゃんのするどい質問にちょっと、どきっとした自分がいた。大人が楽しそうに幸せそうにしていないと子供は未来に希望がないじゃないかと。
「やることがいっぱいあってつかれちゃっているからかな」と、苦笑いしながら答えると「ママはちいさいころはじゃんけんか、しりとりがすきだったんだよね?じゃあ、しりとりしよう?」と誘ってきた。片手に荷物、片手に次女ちゃんの手をひいて、手が塞がっている私を見て、瞬時にじゃんけんを選択しなかったのは彼女の優しさだと思う。
夕焼けの日差しも強く、暑いサウナのような道すがら、次女ちゃんの手を繋ぎながら、しりとりとマジカルバナナ(ちょうじょちゃんは、ほんとうはこっちをやりたかったらしい)で気を紛らわせながらたのしそうに道を歩くちょうじょちゃんを見て、いつか思い出したときに幸せな光景なんだろうなと、暑さでぼんやりとする頭で思った。