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3分間の記憶
50代に差し掛かり、私は人生の折り返し地点に立っていることを実感しています。両親や親戚も皆高齢になり、家族の中での役割が徐々に変化しているのを感じます。
40代で子どもを授かった私は、両親と子どもとの間にちょうど40年の差があります。そのため、私は子どもに未来の自分を見出し、また、両親を通じて将来の自分の姿を垣間見るような感覚を覚えています。子どもは言葉遣いや性格、人に対する気遣いにおいても、自分にますます似てきています。
新年の親戚の集まりでは、お婆さんのために家族が一堂に会しました。コロナ禍以前、お婆さんはまだしっかりしていましたが、人との接触が減り、会話の機会も少なくなったことで、記憶が急速に衰えてしまったようです。
集まりの中で、何度も繰り返される会話がありました。
お婆さん:「わしがあと何年生きられるかわからんもんなぁ!まさこさんは元気かね?」
孫:「まさこさんはまだ元気だよ。」
お婆さん:「のぶちゃんは元気かね?」
孫:「のぶちゃんは10年くらい前に亡くなったよ?お婆ちゃんもお葬式行ったでしょ?」
お婆さん:「そうかね?!…、まさこさんは元気かね?」
孫:「さっき聞いたじゃんね。まさこさんはまだ家にいるけど、外には出ないよ。」
お婆さん:「まさこさん、はぁ〜わしより五つ上だね。元気で良かったね。のぶこは、元気かね...?」
孫:「のぶちゃんはもういないよ。お婆ちゃんも葬式に行ったじゃんか。覚えてる?」
お婆さん:「葬式行ったのか、知らんわ、そうかね...」
このようなやり取りが30分以上続き、孫は疲れてその場を離れました。
アルツハイマー型認知症と記憶の保存
アルツハイマー型認知症について、医学の進歩によって多くのことが解明されつつあります。しかし、昔の人々は認知症に対して治療を考えることよりも、自然の成り行きとして受け入れていたのかもしれません。
映画『ファーザー』(The Father)は、記憶を失っていく父親の苦しみと、それを見守る家族の葛藤を描いています。主人公が記憶を失い、顔すら認識できなくなる過程は非常にリアルで衝撃的です。異なる国ではタイトルが異なりますが、香港で公開された際には『時間に囚われた父』というタイトルがつけられました。このタイトルは、個人的に非常にわかりやすく、映画の内容を的確に表していると感じました。
50歳を過ぎて、この映画を観ることで、若い頃には理解できなかった深い感情が湧き上がります。映画の中で父親は、短期間で娘の名前や顔を忘れ、ついには完全に娘の存在を忘れてしまいます。血縁のつながりは残っていても、認識がなくなると、果たして「父親」という存在がその娘にとってどのように残るのでしょうか。そんな問いかけに直面したとき、私たちは非常に複雑な感情を抱きます。認識の喪失がもたらすものとは、単なる記憶の消失にとどまらず、人間関係の根底にある絆や信頼そのものを揺るがすものであることを痛感させられます。
日々を大切に生きる
私たちの記憶は、未来に何を残すのでしょうか。私は50代を迎え、老化は避けられないものだと感じています。だからこそ、毎日を最後の日と思い、有意義に過ごすことを心がけています。私はアルツハイマー型認知症になる前に、自分の記憶をnoteに記録し、"外付けHDD"として保存しています。日々感じたことや出来事を記録し、少しでも自分の記憶に残す努力を続けています。
未来の自分と子どもに向けて、今の私ができることは、過去と向き合い、現在を楽しみ、未来に希望を持つことです。それが、私自身と家族にとっての幸せへの一歩だと信じています。
自分が感じたことをもとに、大文字LINEスタンプを作成しました。両親の送迎時や日常的に使えるスタンプを意識してデザインしました。高齢の方へのプレゼントとして、日常のちょっとしたコミュニケーションをより楽しく、温かいものにできると思います。
ぜひ、贈り物や日々のやりとりにご活用ください。