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三度の死
三度の死と記憶に生きること
49歳を過ぎ、50代になった。
50代といっても、まだ若僧のつもりだ。
しかし、生と死について考えることが増えた。
若い頃は、死は遠い未来の話だった。
だが、親の老いを感じ、友人の訃報に触れるたびに、
「死」は現実のものとして近づいてくる。
生きることを考えることは、
同時に死を意識することでもある。
人は三度死ぬと言われる。
一度目の死:生物学的な死
心臓が止まり、肉体が機能を失う瞬間だ。
二度目の死:社会的な死
葬儀が終わり、戸籍から名前が消え、
この世から物理的な存在がなくなる。
それだけではない。
自分が写った写真や、所有していた物も、
時間とともに消えていく。
三度目の死:記憶の死
自分を知るすべての人がこの世からいなくなった時、
人は本当に死ぬ。
この話を聞いて考えた。
三度目の死を知った時に、ふと思った。
年を重ねると、若い人と友達になる機会が減る。
気づけば、同世代の人々と過ごす時間ばかりになっている。
三度目の死を迎えるまでには、だいたい50年かかるという。
「私たちの記憶は、人とのつながりの中で生き続ける」
— 『The End of Memory: A Natural History of Aging and Alzheimer’s』 Jay Ingram
つまり、誰かの心の中に残ることで、
私たちは完全に消えてしまうことを遅らせることができるのだ。
自分が三度目の死を迎えるのはいつなのか。
何も残さなければ、その日は早く訪れる。
だが、もし自分の存在が誰かの記憶に刻まれ続けたら、
肉体がなくなっても、生き続けることができるのではないか。
どうすれば誰かの記憶に残れるのか。
偉業を成し遂げる必要はない。
家族、友人、仲間との時間を大切にする。
優しさを持ち、思いやりを忘れない。
誰かの心を温める存在でいる。
そうした小さな積み重ねこそが、
人の心に長く残るものなのだろう。
生きた証を刻みながら、
noteにいろいろと書き始めることも、その一つの理由。
自分の言葉を残すことで、誰かの記憶の中に少しでも長く生き続けることができるかもしれない。
三度目の死を迎えるその日まで、
自分らしく生きていきたい。
最後に
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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