今できなくても、今じゃなきゃダメなこと:想い出は遠くの日々×天門
らむです。今日は朝から雪や雨も降り、寒い日だったかと思います。私の住んでいるエリアは、午前中ずっと雨でしたが、午後は止み、その後は曇りといった天気でした。
雨が止んでも、一日中寒かったので、外に出るのは億劫でしたが、気分を変えるためにも、ゆったり散歩の時間は確保しました。1kmくらい歩いた後からは、体が徐々にぽかぽかと温まってきて、帰ってくる頃には、軽い汗も流すことができて、良い運動になりました。
昨日に引き続き、今日も好きな音楽の紹介へ。天門さんの「想い出は遠くの日々」について、自分の観点なども織り交ぜ、綴っていきます。
「想い出は遠くの日々」は、アニメ映画「秒速5センチメートル」で流れていた曲です。新海誠さんの作品は、どれも本当に素晴らしいのですが、私は「秒速5センチメートル」が一番好きです。長さが一時間程度の作品ということもあり、時々、折に触れて見返している作品です。何度見ても、心が動かされ、その時々の私が過ごしている時間について、改めて大切にしようと思わせてくれる、そんな作品と捉えています。
「想い出は遠くの日々」を聴くと、三部構成で描かれるそれぞれのシーン、登場人物の貴樹、明里、花苗が過ごす日々の映像がよみがえってきます。ピアノのシンプルな旋律はとても美しくて、今この瞬間にそんな思いをしていなくても、切なさが募るような感覚になります。
映画の内容も相まって、以下のようなイメージも感じられます。
若き日の理想通りにはいかない現実の数々。そんな現実を歩みながらも、もう決して歩めない、いわば賞味期限が切れてしまった理想を、繰り返し心の中で描く。もう手遅れで、虚しくなるだけだと分かっていても、なぜだか立ち止まり、何度も惜しんでしまうようなことを、表しているように捉えられます。
また、人それぞれの時の流れ、経験する物事、スピードやタイミングはばらばら。まるで桜の花のよう。花開く頃合い、咲き誇る長さ、舞い散る際は、日当たり、風の具合、幹が根を下ろしている場所、といった様々な要因で異なり、些細な違いであったとしても、一つとして同じものはありえない。そんな一度きりで、不可逆なものが含む儚さを表現しているようにも私には感じられます。
今日は寒空の中、走るのではなく歩きました。
私は歩く時、走るときよりも、どちらかというと静かな音楽を聴くことが多いです。まとまらないけど、ぼんやりと色々なことを考え、また別のことを考えて、またまた先程考えていたことに思考を戻したりして。
合わせて、感情を抑えずに、なるべく開放するような心づもりで歩いています。今日もこの曲を聴きながら、上記のようなことを自身の経験を重ね合わせて、振り返ったり、心を動かされたりする私がいました。
これまで年を重ねていく中で、その時々で、今じゃなきゃダメなことなのに、今それができない。そんなことがそれなりにありました。私だけでなく、少なからず誰にでもあるのではないかなと思います。
お金の有無や、複雑な家庭環境、イレギュラーなタイミング、はたまた運など、様々な理由により生じたことだと思いますが、あのもどかしさ、悔しさ、いらだち、悲しみ、無力感。そんな感情を少し思い出したりしました。
今であれば、その時の問題を解決できるほどには、視野も少し広くなり、ちょっとは積んできた経験があるのに…その時々の私でしか、問題に対処できないというのが、人生の歯がゆいところだなと思ったり。
でもだからこそ、私にとって今じゃなきゃダメなことが、今できないとわかっていたとしても。それは、本当に今できないことなのか、あきらめないで、改めて考えて、検証もして、あらゆる可能性を探るまで、真剣に向き合う必要があるんじゃないか。そして、少しでも悔いない一生にしなきゃいけないんじゃないか。人間というものは今日が一番若く、新鮮なのだから、今しかできないことを沢山経験していきたい。
最後にはそんなことも考えさせられて、一時は感傷的な気持ちになりながらも、感情を一旦出し切り、スッキリして、最後には前向きな気持ちで、考えを整理する助けをしてくれました。
「想い出は遠くの日々」は一人でいる時に心の奥底にある感情を引き出し、それと向き合うきっかけをくれ、最後には心のデトックスをもたらしてくれる、私にとって大切な一曲です。