お遍路ウォーキング日記(264:八十八番大窪寺へ)
【2024年9月25日(水曜日) Day 264】
今日は久しぶりに歩数が一万歩を超えたので札所八十七番長尾寺を打っただけでなくその先にもだいぶ進めた。
長尾寺から先はいよいよ最後の札所八十八番大窪寺へ向かう。長尾の町から更に南下をすると前山という集落を通る。ここからグッと山道らしい道にさしかかる。坂道を上がったところにダム湖があり、道路向かいには道の駅とお遍路資料館がある。
このあたりから遍路道は二手に分かれるがそれはまた日を改めて書くつもりだ。
今日は札所八十七番長尾寺について簡単に書いてみようと思う。
この寺は8世紀に行基菩薩が聖観音菩薩像を彫り、堂宇に安置したのが始まりとされ、その当時は法相宗だった。また一説には聖徳太子が創建し、本尊は弘法が彫り、同時に阿弥陀如来を造り当寺を再興させたという説もある。
弘法が唐へ渡る前にその成功を祈願し、唐より戻った時には伽藍を整え真言宗に改宗した。
その後数回の兵火により堂宇は失われたが、16〜17世紀に生駒氏によって再興し長尾観音寺と寺号が変わる。
その後讃岐藩主松平頼常が堂塔を寄進し真言宗から天台宗に改宗され観音院長尾寺と改称する。
現在も長尾寺は天台宗の寺だ。四国札所は弘法と巡礼する考えからそのゆかりの寺を巡るために大半は真言宗の寺だが、数ヶ寺天台宗の寺がある。しかし以前も書いたことだが宗派問わず巡礼の目的は誰しもがそれぞれに持ち、お遍路をサポートする札所の姿勢にはまったく変わりがない。お寺を打つときに唱える光明(おんあぼきゃべいろしゃのう〜)が真言宗と天台宗では多少の違いはあるが気になる人だけ使い分けていればそれでいいと思う。仏具も巡礼用品店では真言宗の数珠が売られてはいるが、手持ちの数珠があるのなら新たに買う必要もないと自分は思っている。
この寺の山門は鐘が付いていてこのタイプの山門は他にも五十五番南光坊、六十五番三角寺をはじめ数ヶ寺ある。
そしてこの門前は種田山頭火が数首の句を詠んだ場所としても知られており、山頭火ゆかりの地でもある。
さていよいよ最後の寺に向けて出発。今月のうちには結願ができたらと思うが、結願を終えて一番寺に戻るところまではさすがキツイと思う■
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