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お遍路ウォーキング日記(230:七十六番金倉寺へ)

【2024年8月22日(木曜日) Day 230】

 漸く今日善通寺を打った。アプリでは本当に機械的にこの歩数進んだらフラグをつけるかのように札所を次のものに変更してまたその間に設定された歩数のカウントを始める。そんなところなのだろうが善通寺を打つということはそれだけでも結構な移動があり、そこにはカウントされない歩数も発生する。とにかく広大な寺だ。寺そのものがひとつの町でもあり、その中を「移動」という行為も発生する。

 考えてみれば少し前に打った札所七十一番の弥谷寺もそう。本堂に辿り着くだけでも500段以上の石段を上る。

 話は善通寺に戻るが善通寺の場合は本堂と大師堂との間の距離も結構あり、その間の楽しみというものもある。詳細は日を改めて書きたいと思う。

 そして今日は昨日打った七十四番甲山こうやま寺について簡単に書こうと思う。

 弘法の壮年時代、善通寺と曼荼羅寺の中間ほど、弘法が生まれ育った地域に寺を建てようと適した場所を探していたときに小高い山の中腹に老人がいて自分は昔からこの地の人々を幸せにして仏道を広めた聖者だ、ここに寺を建てよと申し出てきた。

 弘法はこの老人こそが毘沙門天であろうと見て山の岩窟に毘沙門天を祀り供養をした。

 後に満濃池工事の勅命を嵯峨天皇より受けた弘法はこの祠に薬師如来を彫って安置し祈願をしたところ大勢の信者が集まり難工事だった満濃池を三カ月で完成させた。

 朝廷から功労金を得た弘法はその金で寺を建立し、山の形から甲山寺と命名した。毘沙門天の甲の形に似ていたからだという。

 しかしながらその後、天正の兵火により寺は焼き払われてしまう。その後徐々に復興を遂げ、現在のような姿になったのは18世紀の事だという。

 実は今から20年ほど前は今のような立派な山門はなく外観に関しては平成の末期に整えられた。その為自分の記憶では毎年行くたびにどこかが新しくなっているという印象が強い。そして行くたびにきれいになっていく感じでもあった。

 この寺は本尊、薬師如来を祀る本堂の上に毘沙門天を祀るお堂もあるので急ぎでなければお詣りをするのがおすすめ。

 住宅地のはずれ、土砂採掘場のすぐ隣と少し寂しさを感じるが、外観を新調したこともあってとてもきれいなお寺だ。そしてこの次の札所は善通寺。善通寺に関しては明日書く予定だ■


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