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世界一大嫌いで許せなかったあの人。あれれ、許せてしまったんですけど、、。[許せない人を許せた方法]

↑の続きになります。

私には、20年近く許せなかった人がいました。その人を許せてしまったのです。今日はその話について書きます。

(ちょっと辛口ですが、ベースに愛をもって書いています。憎しみをこめて書いているものではありませんので、ご了承ください)

許せなかった人の話

その人は、お局的存在とも言える人でした。
とても気分屋で、気に入らないことがあれば、
徹底的に無視をするような、ココロ年齢がお子ちゃまな人でした。

そして、性格や言葉もキツく、ネチネチと昔のことを蒸し返してきては、大勢の前で説教してきたりします。ザ、公開処刑。
(私に逆らうとこんなメにアウワヨ!的な見せしめ行動ですね)
自分のルールにそぐわないものは、徹底的に排除してくるのです。

とにかく、その人の機嫌を損ねると、職場の雰囲気が一瞬で地獄と化すので、みんなおびえて仕事をしていました。

その中でも、私が最もつらかったことは、
“その人にとっての正解” の行動をとらなくてはいけない事でした。
その正解が、その日のお局の気分によっても変わるのです。

今なら分かりますが、「正解なんて分からん!!」が正解ですよね(^^ゞ

言葉のチョイスが気にくわなかったり、
仕事を進める順番が気にくわなかったり、
とにかく、すべてをスーパー完璧にお局の機嫌を損ねず行わなくてはならず……疲弊していました。

お局が原因で、何人もの職員たちが辞めていきました。

そんなこんなで
気がつけば…私は、上から数えた方が早い立場になっていました。
後輩をある程度育ててからでないと辞められないという責任感もあり、「この子が育ったたら辞めよう」を何度も繰り返し、

気がつけば、
後輩指導を10年で20人近くしました。
(入れ替わり激しすぎ)

ついには仕事のやり方だけでなく、私の個人的な自由も奪われました。

私は、近眼のため、メガネかコンタクト生活なのですが、

「どちらかに統一しなさい! あなたは眼鏡をはずすと印象がずいぶんと変わるから!」と脅され、メガネで過ごすことを強要されたり、通勤の私服も露出が多いとか、派手だと注意されました。

オシャレ大好きだったのですが、気がつけば、オシャレのオの字もなく、地味ーなヤツになっていきました。(当時の私は、もしかすると…今より老けてたかも(^o^;))

ストレスが原因で、ひどい帯状疱疹で入院した時には、
「休んでみんなに迷惑をかけたんだから、退院した帰りに、普通、職場に謝罪しに来るでしょ? 帰り道なんだし」
と言われたり (そんなの、ムリだしー!夕方過ぎまで点滴してましたし、帰りに寄ったとしても、会社閉まってますけどぉ)←でも怖くて言い返せないチキンだった私

退院翌日はそもそも有給休暇の日で、
次の日もお休みをいただくと職場に連絡を入れていたのにも関わらず(他の病院にも行かないといけなかったし)

「なぜ出勤してこなかったの? 普通なら、休みでも出勤して、菓子折りの1つでも持って謝罪しに来るんじゃないの? あなたにはガッカリよ。まぁ、いいけどね」
と、わざわざ電話がかかってきたり(´゚д゚`)、、
もうめちゃくちゃでした。

こんなのは日常茶飯事でした。
毎日のように人格否定の嵐で、

「もう○○歳なのよ?!そんなんで、あなた大丈夫なの?」
「あんたがバカだから後輩もバカなのよ、納得したわ」
などと暴言が日常でした。

それでも干支が一周するくらいは、ガマンして踏ん張ったのです。(これが間違いでした)

とうとう…ある日、限界を超え、私は倒れたのでした。。OMG‼(そもそも、よくもった方だわ‼)

治療を終えても、体が思うように動かず、うつ病になってしまったのか?!と思うくらいの心の重さがとれませんでした。

“適応障害”と診断され、会社をやめることになり、そこからひきもり生活がはじまったのでした。

会社を辞めてからは、かつての仕事仲間の職員たちからは一切の連絡もなく(おそら、アイツ精神やんだから、連絡したりして刺激するなよー的なお達しが出ていたのでしょう)

やっと縁がきれて、内心、清々していたのですが、
毎日のように仕事の夢をみて、夢の中にまでお局が出て来るではありませんか。。コンチクショー

(この引きこもり生活については、また別の機会があれば書こうと思います)

職場の人たちと、家の近所で偶然に遭遇したりするので(職場が家の近くだったため)
会社が稼働している時間帯でないと、外出できなくなりました。

それでも、お局と何度か遭遇しかけたことがありました。
お局を遠くから見かけただけでも、
心臓がバクバクして、その場から動けなくなったり、身体が震えてきたりするので、
自由に出掛けられなくなってしまいました。

仕事を辞められたのに、私の自由は制限されたままだったのです。
クソーくそー、ただでさえ、お局のせいでこんな心身になってしまったと言うのに、
いつまで私をおびやかすつもりなのか!
と、ずっと思っていました。

そのように、大キライで許せなかったあの人を、
『あれれ、許してしまったんだけど、、』と思えたのです。

前置きが、ずいぶんと長くなりましたが…
どれだけ許せないか、なんとなーく雰囲気は伝えられたかな、、と思っています。

私は、何年もかけて、この過去の傷を癒やすことをやってきたのです。心のコトを勉強したり、プロのカウンセリングも受けたりもしました。

しかし、癒しても癒しても、あまりにも夢でうなされるので、
「もう一度ちゃんと向き合ってみよう!」
「いつまでも過去に囚われて過ごすのはイヤだーーー!!」
と、さいごのチカラを振りしぼったのです。

過去を手放すために自分に問いかけた質問とは

そんなこんなで、
過去の出来事をもう一度、思い出してノートに書き出していきました。

さて、やっと本題です。お待たせしました。

そのノートの一例が、コチラです↓

①何がそんなにイヤだったのかを、具体的に書き出しました。↓

②シンプルに、何がイヤだったのか?を書き出してみました。↓

③それ(②)は本当にそうだったのか?と疑ってみました。↓

実際に書き出してみると、、

え、、めっちゃ好かれてたんじゃね?

これって、ひねくれた愛情表現じゃね?

と気づいてしまったのです(笑)

・バカにされて否定されてきた
・自由を与えてもらえなかった
・個性を認めてもらえなかった
・嫌われていた

と、思い込んでいたけど、
違うのかもしれない…
と、当時の私からは見えなかったものが、見えてきたのです。

・お局は、そういう表現しか出来ない人だったのかもしれない。
“そういえば、お局自身の私生活もとうてい幸せといえる環境ではなかったなぁ〜”

・私を否定してきた…と感じたのは、
“お局自身がそれだけ我慢して頑張って生きていたからかもしれないなぁ”

・自由がなくコントロールされた…と感じたのは、
“誰かをコントロールして、思い通りに周りを動かさないと、お局自身が自分を保てないと思っていたからかもしれない”

などと
いろいろ、目に見えないものが見えてきたのでした。

そしたら、恨みとかそんなのが消えてしまったのです。

はじめて許せて、というよりも、
アレレ…なんで許せなかったのかな? 何を憎んでいたんだっけ?
と、思い出せないほどでした。

なぜかと言うと、
本当の意味で、相手のことを客観的に見れ、理解できたからだと思います。

同時に、感謝の気持ちも心から湧きあがってきました。

『嫌われていたから嫌なコトをされた訳じゃなかった。単なる八つ当たり的な、あの人なりの愛情表現だったのだ。あの人も幸せになりたくて、心の中では、大声で泣いていたのかもしれない』
と思えたからでした。

ここまで行きつけたのは、
自分の感情をスルーせずに、向き合って、受けとめてきたからこそだなぁ、とも思いました。

そして、長年の月日が経ったことで、このように転換できたのだとも思います。
だからこそ、いい意味で記憶も薄れてきているのかもしれない、とも感じました。

世界一キライな人で、許せない人で、
街で偶然出会えば、体の震えがとまらなくなるくらい、おそろしくイヤな人。

それなのに変な感じ。

関りたくない思いは変わらないけど、以前のような恨みは不思議と消え去ったのでした。

そして涙がとまらなくなりました。

許せないあの人が、最後に与えてくれたプレゼント

たしかにひどい仕打ちいっぱいされたけれど、
あれれ、、なんでこんなに忘れられないくらい憎んでいたんだろう??と本気で思えたのでした。

なぜなら、
最後の最後に、さらに大きなギフトまで与えてくれたからなのです。

それは、

『人を許すということ』

にくしみの感情を、真の意味で手放すことを
体験させてくれたことです。

ここまで憎ませてくれて、許すということの感動を与えてくれたのは、
ダイキライだったあの人だったのです。

ーー ーー ーー ーー 

この許しのプロセスの以前に気づけたこと(ギフト)とは、
〈前回の記事を読まれていない方のために、補足して書いています〉

何よりも自分が自分のことを否定し、
自分に自由を与えていなく、嫌っていた。ということでした。(過去の私は、自己肯定感がものすごく低く、自分を大切にできていませんでした)

『もっと自分を大切にして生きなさいよ』と教えるために、現れてくれたイヤな人だったのだ、、
ということでした。

これを、仕事を辞めて1年目に気づけたので、気持ち的にはずいぶんとラクだったのですが、

最後のシコリみたいなのが、どうしても5年ほど手放せずにいました。

「もう忘れられたよ!手放せたよ!」と思ったら、
また夢に出てきて、以前の職場でののしられている夢をみるのでした。

ーー ーー ーー ーー 

もちろん、私がこのように成長してきたように、
相手にも相手のトキが経過していて、成長されているはずです。

私と同じように、昔とは別人に変わっているかもしれないのです。
だからこそ、自分だけトキが止まったかのように、過去に縛られて勝手にうらんでいるのがイヤだったのです。(何かをされたと思ってるのは私だけで、相手は何とも思ってないはずでしょうから)

物事の 良い面/悪い面 でいう「悪い面」にばかり目が行きがちだけれど、
客観的に物事をみてみると、
偏った思考で、ものの見方を決めつけていたのだな…と気づけるものなのですね。

(もし、ご興味があれば、私がノートに書き出した①〜③の質問(画像のもの)を書き出しされてみてください。何か見えてくるものがあるかもしれません。)

今では、誰かに否定されたとしても、コントロールされようとも、今はビクともしない自分になれています。
コレだけでも大きなギフトです。

こんなイヤな出来事がなければ、そんな自分にも出会えなかっただろうと思うので、過去の出来事には心から感謝しています。

そうでなければ…今ごろ、私はどのように生きていたのでしょうか。。自分を好きになれずに、日々を耐えているのでしょうか。。考えだだけでも、おそろしい。

いや~個人的に手ごわい対戦相手でした~。
なかなか、かき乱してもらえましたさ。人生の大きなテーマを。

以上が、体験を通した、許しの話でした。
長文を読んでくださり、ありがとうございました。

まとめ、許すまでの順序とは

この一連の出来事から、
ある仕組みというか、順番のようなものが見えてきました。
(今の時点で気づいたことを書いておきます)

①出来事が起こったことの意味を知る
②自分の立場で感情を感じきる
③癒しが起こる
④気づきがある。見えてくるものがある。
⑤自分を愛し、自分を徹底的に満たしていく。
⑤相手の立場にたって、世界を見ると、さらなる気づきや見えてくるものがある
⑤許し・統合が起こる。

の順番で起こるのではないかと、
実体験からそのように思っています。

この許しのプロセスには、人によっては時間のかかる人もいるのかもしれない。私は離れてから、6年かかりました。まだ上手く説明できないけれど、誰かの役に立てるのかも。と思い、中途半端かもしれないけど書いてみました。

Special Thanks♡

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lalami(ひみつノート)@読むカウンセリング、コーチング
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