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"華麗に変貌する星" デヴィッド・ボウイさん 13曲+αと軌跡

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久しぶりに好きなアーティストの記事を描いてみます。

小生が中学生の頃
第二次イングリッシュ・インベーションが起こり
イギリス出身のキラ星の如く錚々たる面々の
アーティストによるチャリティー・ソング
"Do they know it's Christmas ?"が
大ヒットし、歴史的イベント"Live Aid"へと発展しました。

そのイベントのトリでシリアスなメッセージを語る
ボウイ氏の知的かつエレガントなカッコ良さに
彼のことを初めて知り得たのでした。

それでは私の好きな曲を中心に
紹介していきます。





 デビューからグラム・ロックの星へ

1. Space Oddity(1969)

スタンリー・キューブリック監督作品の
"2001年宇宙の旅"から着想し、
アポロ11号が月面着陸するタイミングで
作品をリリースしました。

宇宙を題材にしたボウイ氏の紡ぐ歌詞の世界__
歌詞に登場するMajor Tom(トム少佐)は高度10万マイルで宇宙船が故障し、「地球は青い。そして僕が出来ることは何もない。」と言い残して物語は幕を閉じる。

デビュー2作目にして、彼自身が他に類を見ない特別な才能を持つアーティストである萌芽が垣間見えます。




2. The man who sold the world(1970)

邦題名:世界を売った男
妖しげなギターリフで始まり
どことなく浮揚感のあるヴォーカル

本曲はボウイ氏の兄テリーが精神の病に侵されていることを歌詞にしたためたと言われており、深淵で哲学的な表現の歌詞であります。

MTVアンプラグドでニルヴァーナ がカヴァーしたのも有名です。




3. Life on Mars?(1971)

繊細な感受性を持つ少女が
現実世界の日常の光景を訥々と語るような歌詞ですが、その絶望感からか、
結びの言葉には突然に文脈のない
"火星に生命は存在するのだろうか?"
天才過ぎる!




4. Ziggy Stardust(
1972)

異星からやって来た架空のロック・スターの物語を演じるコンセプト

この頃はグラム・ロック全盛期で
ボウイ氏のステージ衣装を手掛けた山本寛斎さんの奇抜なコスチュームも相まってアヴァンギャルドなビジュアル・センスを確立しました。




一世風靡したアイコン:"ジギー"を自ら葬りロック・スターを演じることをボウイ氏は終結する。

新しいスタイルを求めてR&Bへと音楽性が傾倒していくのでした。

またこの時期に銀幕デビュー
"地球に落ちてきた男"の映画初主演を果たします。




カルトヒーローから世界的スターへ

アメリカの西海岸ハリウッドで活動している時にボウイ氏自身のコカイン中毒が深刻化していたこともあり、自身を見つめ直すべくアイデンティティの源であるヨーロッパへと帰還しました。

時はパンク・ロック隆盛の時代にあってThin White Duke(痩せた青白き公爵)と名乗り我が道を征くボウイ氏

新たなパートナーとしてブライアン・イーノ氏やトニー・ヴィスコンティ氏を起用し、ベルリンのハンザ・スタジオを拠点にエレクトロニカ音楽を模索します。

5. Warszawa(1977)

ベルリン三部作として名高いアルバム"ロウ"より
ボウイ氏の深淵な精神世界を端的に表現した作品です。

賛否両論ありますが、ロック音楽を大別するとビートルズかレッド・ツェッペリンの影響を受けているのですが、ボウイ氏は完全に独自の世界を築き上げたと言えます。




6. Heros(1977)

まごうことなきデヴィッド・ボウイ氏の代表曲と言っても差し支えないかと思います。

当時、ベルリンの壁の傍らで落ち合う恋人達の姿を見て着想を得たようです。

閉塞的な状況に置かれた(当時のベルリンの壁)男が頭上に銃弾が飛び交う最中に恋人にキスをする。

その刹那に男が頭に思い描くのは、現実的な障壁を打ち砕く英雄Herosになることを夢見ているのだ__ 。




7. Ashes to Ashes(1980)

この曲は前述の"Space Oddity"の歌詞に登場するトム少佐は薬物中毒者だったと歌詞に認めています。

これはボウイ氏が過去の自分を否定することで、過去作品との訣別を意味しています。

この後にボウイ氏は大きく変貌を遂げることになります。




8. China Girl(1983)

プロデューサーにアメリカのメジャー音楽の第一人者であるナイル・ロジャースを迎えたアルバム"Let's Dance"はボウイ氏にとって初の全米No.1をもたらしました。

ここからシングル・カットされた曲の中でもお気に入りを紹介します。

ダンサブルで明快な音作りは、一部の熱狂的なカルト信者のヒーローだったボウイ氏が一躍世界的なポップ・スターとしてスターダムを駆け上がった時期でした。




原点回帰〜クリエイティブの追求

ボウイ氏の場合__
メジャーなスターの座に居座り続けることはありませんでした。
むしろ、"Let's Dance"以降の"Tonight"はまだしも、"Never Let Me Down"に至っては精彩を欠いてしまいました。

しかし、ここからが華麗なる変貌を遂げてきたボウイ氏の本領が発揮される充実期を迎えます。

9. Heaven's in here(1989)

心機一転し、シンプルで骨太なロック音楽に原点回帰を果たします。

ティン・マシーンというバンドを編成し、自らバンドの一員として帰属することで生まれるダイナミズム

ボウイ氏の中にあるクリエイティブ魂を呼び覚ましたのです。

余談ですが、京都会館(現:ロームシアター京都)の来日ツアーでボウイ氏の半径2メートルまでの至近距離で拝見出来たことは素晴らしい経験でした!




10. Hello, Space boy(1995)

1993年リリースの"Black Tie ,White Noise"以降はアルバムリリースを3年以上空けることなく怒涛のクリエイティビティーを発揮するボウイ氏

本曲は1995年リリースの"1. Outside"より
盟友ブライアン・イーノとの紡ぎだすアンビエントな音像がダークで硬質な印象です。




11. Seven years in Tibet(1997)

アルバム"Earthling"に描かれた歌詞にはボウイ氏が敬愛するアメリカのSF小説家のウィリアム・S・バロウズへのオマージュが散りばめられ、文章を刻んで言葉の羅列を組み替えるカット・アップ(偶然性の文学技法)を多用しています。
この時期のボウイ氏はアーティストとして創作意欲に満ち溢れ最も充実していた時期と言えます。




隠遁生活そして死去

21世紀になっても、ボウイ氏のクリエティビティは衰えることなく
2002年に『ヒーザン』、2003年に『リアリティ』と立て続けにアルバムを発表します。

大規模なワールド・ツアーを開始しましたが、ツアー中に突如として動脈瘤による胸の痛みから公演をキャンセルすることを余儀なくされました。

それ以降、ボウイ氏はメディアや公衆の前に、その姿を現わすことがなくなりました。

隠者のように__
彼が今どうしているのか?
多くのファンが抱く謎や疑問は募り
次第にミステリアスな存在へと変わっていくのであります。

12. Where are we now ?(2013)

ボウイ氏は死んでしまったのではないか?

そのような憶測が囁かれる時に
約10年ぶりに新譜アルバム"The Next day"がリリースされました。

レコーディングは秘密裡に行われ
アルバムリリースに関してのプロモーションも全く行わず
ますますミステリアスな霧に包まれた中から
突如としてリリースされた至極の美しさを湛えた楽曲群
ボウイ氏の帰還を待ち侘びたファンを唸らせ
20年ぶりにイギリス音楽チャートのNo.1の座に返り咲きました。




13. 'Tis a pity she was a whore(2016)

Black Star《黒い星》
アルバムジャケットに"★"ひとつ

星は死んでしまった__

ボウイ氏はアルバムリリースと同じくして死去するという電撃ニュースが全世界に発信されました。

ボウイ氏のラスト・アルバムは本国イギリスの音楽チャートはおろか、"Let's Dance"以来の33年ぶりの全米のビルボードチャートNo.1を獲得し、グラミー賞5部門を受賞することになりました。




+α. Changes(1971)

変化__
真新しいことに目を向けよ
これまでと違う人間になろうとするべきだ
時間は僕を変える
でも僕は時間をさかのぼることはできない
        "Changes"

異星から落ちてきた星屑__

様々に光彩を変えては瞬く
そしてかけがえのない
命の光を失ったとしても

地球は青く周り続ける
はるか宇宙の上で
夢のように美しい星屑となって
照らし続けるだろう


類い稀なる表現者__
デヴィッド・ボウイ氏に捧ぐ

            《了》
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長文お読みいただきありがとうございます。

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