政治、国と言い換えて考えるときに
さて、少し政治の話をしてみることにしましょう
別に何か悪態をつこうというわけでもありません
政治というお話をするとき、政治というのは”国”という言葉に言い換えることができるくらいその関係は明白で、自分たちは国民なのであります。
それなのに多くの人達はその国というやつがわからない。いいとこ、ワイドショーの知識並に落ち着いてしまっているというのが昨今(さっこん)の状況でしょう。
『僕』の私見も入りますが解散があり衆議院選挙がありますから少しこういうことも話していきましょう。これは前回の総裁選のようなもののように『僕』たちが参加できないものではありませんから。日本という国の政治は世界においてはまともなのでしょうか?
日本以外の国ですと、アメリカを考えてみましょう。
アメリカは民主党と共和党があり、その政策もまったく異なる部分もあり重なる部分もありと市民が自分の生活や社会を営むためにどのような政策が必要かというもので選択ができます。
しかし、日本というのはあまりにもその政策を具体的に打ち出す政党がいません。
それは自民党もそうですし、対抗馬すらも出てこない始末です。この意味においても日本という国は危ないのです。まともな対抗軸がなく選択肢がないというのは最もそれらしく見えて安易に御しやすく支配しやすいというのが現在の状況です。
この点において、国民である『僕』たちは労働者という面も持ち合わせていますが立場は奴隷以下であるということになるのです。
奴隷市場というのはなかなか開かれませんから、それなりの生活を営み生きることができます。
しかし、労働者は取り替え可能、つまりリプレイス可能な人間ですから使い捨てができるのです。
これを回避するための資本のパイの奪い合い、またはメリトクラシーに基づく能力主義における競争によって取りこぼされる人間は奴隷並ではなく、奴隷以下の生活を強いられるわけです。
現在の政党として
そもそもこの現在の自民党というのはどういう党だったのでしょうか。
自民党とは本来、保守政党として確立され反共産主義の抑止力としてアメリカの後ろ盾を得てきました。
また、都市に人口を集中させる代わりに地方の多様な人材を集めて活用し、その地方には公共事業というものを与えて経済を回すようにしてきた政党です。
この点に関していうのであれば現在の石破氏の地方に強いところを見ると原点回帰といっても差し支えないかもしれません。
さて、このまま次の選挙になりますが非常に難しいものになってきています。
いま一度、このように自分たちの国のことをナショナリズムと言い換えてもいいかもしれません、これを考えてみるきっかけとしてもいいのではないでしょうか?