ネタバレをしないと作品を見れない若者たち 感情の動きがストレスと感じるらしい
「ネタバレはむしろよくて、先に何があるんだろうかとそれを知らないほうがストレスになります」
歳下の友人と話しているときに言われた言葉で、そういう価値観もあるのかと思ったことです。
つまりは感情が動くこと先がどうなるのかハラハラするような、ドキドキ感というものは”楽しみ”としての機能ではなくストレスというものとして扱われ回避の対象となるようです。その回避行動として先にネタバレのサイトなどで何が起こるのかを知っておいて、映画やアニメなどを見る。
漫画を見るときも先にパラパラと何が起こるのかを知っておいてから読み始めるそうです。
この予測計算可能性の世界で生きることをよしとする人たちは今の人間、若者の特徴です。
感情の動きというものはほとんどのものが”不快”であると考えるのです。
興味を示すこともなく、あまり感受性を際立たせないようにすることでその平穏を守るようにしているみたいです。
『僕』とはまた違う価値観なのですがこれをよしとする人たちにはどのような問題があるでしょうか?
感情を動かすというストレス
いまの若い人たちは感情を動かす、とくに怒りや悲しみというものに関しては敏感になってそれを避けようとする傾向があります。
それは嬉しいなどのプラスのものでも変わりません。
そのクセ、自分が他人からどのように思われているかは気になりますし、恥をかきたくないと思っています。
それを回避するためには行動をしますし、それらに起因する行動などからは距離をおいてストレスの回避を試みるのが彼、彼女らの世界なのです。
何がそうさせてきたのか
『僕』はこじつけだとは思っていますが、スマホゲームなどのドーパミン・カルチャーにおける影響ではないかと考えています。
一定期間、一定のドーパミンによる報酬系で支配されていくとドーパミンのように手軽にそして一瞬で、一種の「幸福感」を味わえることになれてしまいます。
これによって、段階を踏んでプラスの感情を動かすというプロセスをなくしてしまっているのではないかということ。
また、過剰なドーパミンの支配による感情の制御の破綻
こういったものが原因となっているのではないかと考えています。
予測・計算可能である世界での安心感
これは言ってしまえば、閉ざされた世界です。
この狭いゆりかごの中でしか、恍惚を感じることができないというのは『僕』にとっては不幸に見えます。
しかし、彼、彼女らにとっては不快感のない「心地よい世界」なのです。
これらの価値観というものは作品性にも文化への劣化を与えかねないと思っていますが、この価値観にフォーカスをあてて商売をしなくてはビジネスにならないという側面もあります。
良い悪いではなく、このような価値観がいまの令和の世の中にあるよというお話し
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